Jason Thompson's House of 1000 Manga での『フランケン・ふらん』の記事

前から木々津克久フランケン・ふらん』は好きだったんだけど、ここ数日なぜだか知らんが自分の中でブームが再燃して漫画を読み返したり検索してレビューを読んだりしてた。その中で気づいたんだけど英語圏にも結構ファンが居るねこの作品。自分の好きな漫画のファンが海外にもいると嬉しいですな。もっとも『フランケン・ふらん』は公式には英訳されていないので(独訳はある)、主にスキャンレーションによって知られているわけですが。

Anime News Network の Jason Thompson 氏の記事を訳してみた。例によって訳はかなりてきとうであります。
http://www.animenewsnetwork.com/house-of-1000-manga/2013-05-02

「私たちは科学の発展と人類の幸福のために戦っているの! 幸福を目指すためにも実験が必要です!*1」 
マンガ界には最高に偉大なるマッド・サイエンティストが二人いる。一人は岸和田博士(トニーたけざき『岸和田博士の科学的愛情』)…だが私の目下のお気に入りはもう一人のほう、木々津克久の『フランケン・ふらん』だ。キャラクターデザインの面では、ふらんは縫い目だらけの萌え美少女というルックスで、フランケンシュタインと『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のサリーとの混血というところだ。彼女の身体は万全とは言いがたく、たまにかけらを落っことしたりする。こちらで目玉がポロリ、あちらで縫い目がパラリ、という調子。彼女はちょっとぼんやりしてるところがあって、よろよろ歩きまわる間、彼女の頭は"ふらふら"揺れている。"ふらふら"というのは日本語の擬態語で、彼女の名前の由来のひとつだとわかる。しかしいったん手術シーンになると、ふらんは最強である。シリコンやナノマシンや切削工具を使って巨大ロボットだの超兵器だのを作ることは誰でもやるが、ふらんは医者だ。彼女は人体とか血とか骨とか、ねとねとぐちゃぐちゃした素材を使うのだ。人々は、自分たちのかかえる難しい医学的問題を、きっと解決してくれると考えて彼女のもとを訪れる。もちろんその解決は、恐ろしくも意図しなかった皮肉な結末をもたらすことになるのだが…

フランケン・ふらん』はジャンルのツボを押さえたメディカル・ボディ・ホラー・マンガだ。すなわち気の利いたストーリー、驚きの結末、そして絶対に見たくなかったような酷い事態の描写。グーグルで"franken fran"を画像検索したら忘れがたい結果になるだろう。ついでに仕事をクビになるかもしれない。グーグル画像検索はこういうときヤバいと思う。このマンガでは、一団の人々が顔のところでひとつに縫い合わせられたりする。若さを永遠に保ちたいと思った女性が、生けるがん細胞で出来た不死の肉塊になる。一人の人間の身体機能を代替するために工業施設が建造される。消化器系がひとつの工場、神経系はケーブルとワイヤーという具合だ。獣人に改造される人々もいる。よだれを垂らす犬のような怪物や…あるいは、生ける毛皮スーツの中に脳を移植されたキグルミに…あるいは、人間の頭を持つ巨大な芋虫に…

驚くことに、ふらんは本物のマッド・サイエンティストではない。最初に彼女自身が言うように、彼女は本物の科学者の助手にすぎない。本物の科学者というのは悪名高き天才/生物学者戦争犯罪人の斑木直光だが、彼は現在長期旅行中である。彼の留守の間、ふらんは人里離れた山奥にある彼の邸宅と研究所を守らねばならない。手術の際には必要な腕を余計に移植ししたりしながらも、彼女はうまく研究所を運営している。彼女は社会からまったく孤立しているというわけでもなく、たまに日本の医学学会で発表することもあるが、おおむね彼女は、無口で図体の大きい、マスクをした部下たちの一団と一緒に暮らしている。彼女の第一の助手は、猫の体に美少年の頭を移植された沖田だ。第二の助手はアドレアだが、この女性は全身を包帯で覆っている。包帯を取れば見えるのはジッパー(液漏れしてる)だらけの肉体で、ふらんはここから移植用の内蔵を簡単に取り出すことができる。アドレアは生けるジップロック・バッグというわけだ(彼女の最悪の部分についてはあえて触れない)。シリーズが進むにつれて研究所の仲間は増える。斑木博士の新たな創造物、ヴェロニカ。縫い目のある小さな女の子で、博士は彼女を究極の殺人者として設計した。そしてガブリール、サメの歯を持つ女性で、究極の"究極の殺人者"として設計された…かわいそうなヴェロニカを1998年版のボンダイブルーiMacだとしたら、ガブリールは2013年版のiMacのようなものである。

このグループが悪事を企んでいたら世界はやっかいなことになっていただろう、。しかし心配ご無用。それはない。いや、ほんとに。最高のマッド・サイエンティストがそうであるように、ふらんは「エイリアンをやっつける」とか「人類補完計画の実現」とかいうような狭い目標を持ってはいない。彼女は理想主義者であり、科学をよりよき世界と人々の命を救うことに使いたいと思っている。この点で、彼女は手塚治虫ブラック・ジャック、顔に縫い目のあるスーパー外科医によく似ている。実際、『フランケン・ふらん』の多くのエピソードは基本的に『ブラック・ジャック』のパターンをなぞっていて、最初のエピソードからして、金持ちの男が自動車事故で無くなった息子を救って欲しいとふらんに依頼するというものだ。とはいえ両者の違いはといえば、ふらんの方はいわゆる"クオリティ・オブ・ライフ"に試練を与えることがあるということだ。彼女は人々を生き続けさせることのみを気にかけている。それがどんなに酷い、歪んだ生になろうとも。「救うことができるかぎり死なせる訳にはいかないわ*2」彼女は人々を傷つけようとしているのではない。彼女はただ…価値観が独自なのだ。ふらんの生命を保護することへの狂信には冷血な殺人者であるヴェロニカも戦慄するほどで、この漫画において本当に恐ろしいキャラクターが誰かということに疑いの余地はないだろう。

メディカル・ホラー漫画として、この作品の20%は医療、80%はホラーである。木々津は明らかにホラーファンで(最初の方の巻末にはおまけとして各話1・2ページのーーそれでもぞっとするーーホラーの超短編が掲載されている)、このシリーズはホラーファンの内輪向けジョークでいっぱいだ。ある回では登場人物たちが人肉を食うゾンビから逃れてショッピング・モールに避難し、それはまるで映画『ドーン・オブ・ザ・デッド』みたいだが、木々津はさらに酷いアレンジを加える。鯨のようなモンスターが海から日本に上陸する回は、ゲゲゲの鬼太郎のある物語*3を思い起こさせる。視力を失いつつある画家の物語は『沙耶の唄』が元ネタ、あるいはこのギャルゲが下敷きにしている手塚治虫火の鳥』のエピソードが元ネタというほうがいいかもしれない。大富豪が離れ小島に私設の楽園をつくる話は江戸川乱歩『パノラマ島奇譚』へのオマージュもどきである。『パノラマ島奇譚』は最近丸尾末広が漫画化したのだが、これは他の漫画家が不気味さにおいて木々津を追い抜いた稀な例の一つだ。しかし木々津のマニア性はSFやホラーや諸々の奇妙な科学的事実のさらに上をいく。このマンガは空飛ぶスパゲッティ・モンスター*4を題材にした私の知る限りでは唯一のマンガである。

フランケン・ふらん』は単行本で8巻分の長さにわたって青年漫画誌のチャンピオンREDで連載された。グロで変態な作品で満ちていたこの唯一無二の雑誌の中では、この作品が常に一番病的な作品だったというわけではない(たとえば、これから読もうという人の気持ちを萎えさせるつもりはないが、このマンガには成人を授乳させるようなシーン*5はない)。ふらんと他の女性キャラが半裸で登場する単行本のカバーはいかにもファンサービスという感じで、実際以上にエロく見せかけている。いくつかの回ではセックスが取り上げられていて、たとえば「Lust」では、ふらんのいる高校の女子が、常にサカりがついいていてセクハラばかりしかけてくる男子たちをどうにかしてくれとふらんに頼む(ふらんの手にかかるとフェロモンはデビッド・クローネンバーグもたじろぐような作用を引き起こす)。『フランケン・ふらん』に弱いところがあるとすれば、それはプロットが充分でないというところだろう。繰り返し出てくるキャラクターは何人かいて、ひどく不運な女性警官である久宝もその一人だが、彼女はふらんのしでかした結果を後始末させられる。しかし、ふらんに対置されるような敵対者はおらず(まあ皆がそうといえばそうなのだが)、クライマックスに向かっての盛上がりもない。それでも、いくつかの回では悲惨な結末が後の回まで影響をおよぼす。二人のボーイフレンドのどちらを選ぶか決めかねた女の子に、ふらんは分裂の能力を与え、女の子は一卵性の双子として分裂する…しかし話はそこでは終わらず、その後すぐ、ふらんはある極端な処置をとらざるをえなくなる。というのも、数百万の無性生殖するクローンの群れによる人口増加が、地球への脅威となってしまうからだ。別の話では、ふらんは簡易な出産方法を開発する。女性が未成熟な赤ちゃんを幼虫のような形で出産できるようにし、妊娠期間中常にお腹の中に抱える代わりに子宮の外で育てるのだ…しかし蛹が孵った時、親たちは不愉快な驚きに襲われ、幼虫で子供を生む流行は失敗で終わる(もっとも、それはふらんのせいではない。おおむねうまくいっていたのだ)。着ぐるみにまつわる一連の話に至っては、話はどうしようもなくもつれて手に負えないことになる。

悲しいことに、『フランケン・ふらん』は(岸和田博士のように)今までの所一度も公式に英訳されていない。だからこの文章もライセンスされていないスキャンレーションに基づいて書かざるをえなかったのだが、これはこのコラムでは初めてのことだ。読者は、良い日本書店に行けば『フランケン・ふらん』の単行本を入手できるだろう。率直に言って(すまないが、言わずにおれない)、なんで連載中にどこかの出版社がこの作品をライセンスしておかなかったのか理解できない。しかし日本での連載は終了し、全巻が違法にスキャンレーションされた現在、もはや出版社がこの作品を正式にライセンスすることはなさそうだ。木々津克久(見たところこの漫画家はウェブサイトもtwitterも無いようだ)は『フランケン・ふらん』のスキャンレーションから一円も得ていない。一方インターネットはこの作品を消費し、ページを食らって血肉にし、はたまたインターネット・ミームやTVTrope*6の記事にしているわけである。これはまさに、意図せざる皮肉な結末だ。

*1:14話のふらんがヴェロニカにいう台詞(「科学の発展と人類の幸福!」以下)がスキャンレーションではこのように訳されている

*2:14話の台詞「私が助けるのも止めないでほしいわ」のスキャンレーションでの訳

*3:墓場鬼太郎の『大海獣』ですかね

*4:wikipedia:空飛ぶスパゲッティ・モンスター教

*5:同誌に連載されていたwikipedia:聖痕のクェイサーのこと

*6:wikipedia:TV Tropes