Comic Baton

id:sitebbiwさんからまわってきましたよ。
ずいぶんと遅れましたが回答。

Total volume of comic on my Bookshelf(本棚に入ってる漫画単行本の冊数)

えーと、今部屋にあるのは250冊くらいかな。

Comic thought to be interesting now(今面白い漫画)

連載中の作品から

志村貴子放浪息子』(コミックビーム
志村貴子は地味ながらずーっと上り調子
花輪和一『刑務所の前』(ビッグコミックオリジナル増刊号)
花輪和一の漫画は御馳走
山本ルンルンマシュマロ通信』(朝日小学生新聞
藤子F不二雄のストーリーテリング佐々木マキのセンスを継ぐひと

The last comic I bought (最後に買った漫画)

古本で

こうの史代『夕凪の街 桜の国』、昨年の話題作で賞もとりましたが、まだ読んでない人はぜひ。

Five comic I read to a lot, or that mean a lot to me (よく読む、または特別な思い入れのある5つの漫画)

  1. 高野文子『黄色い本』
  2. いましろたかし『釣れんボーイ』
  3. 岡崎京子『カトゥーンズ』
  4. 吉田戦車ぷりぷり県
  5. いしいひさいち『バイトくんブックス』
  1. 読書の秘密をむんずとつかみ取った作品。高野文子は恐ろしい。
  2. 義務教育ですべての若者に読ませたい名著。
  3. 岡崎作品の中では語られることはあまりないが、私はとても好きな一冊です。装丁も内容も素晴らしい。
  4. 吉田戦車の中では最も多く読み返してる。ばかばかしいっていいなあ、と読むたびに思う。
  5. バカである自分がつらくなると、バイトくんを読み返します。

Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5名)

さて、どうしましょう。
とりあえずここで置いときますね。

ガセビアの荒野

昨日の『トリビアの泉』で
ドクター中松が石油ポンプを発明したのはガセ という先週のガセビアはガセでした”
という訂正が入った模様。ドクター中松サイドから文句が入ったんだろうな。ドクタ−中松は石油ポンプの特許以前に“サイフォン”を発明したのでこっちが先だ、と主張している模様。
しかしこの醤油チュルチュル=サイフォンが石油ポンプの発明といえるかどうかは結構怪しい。以下のURLを参照。
http://222.146.204.251/~mame/doc/nakamatsu/first.html
同じ原理の道具は明治時代からあり、それを石油ポンプに応用したのがドクター中松でもないのなら、発明者が彼だと言うのはやはりガセといっていいんじゃなかろうか。

よく検証しないままガセビアとして流し、強い抗議があったのでまたまたよく検証しないまま訂正してしまったという印象。

無断リンク禁止をめぐる議論
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/rir6/20050710/1120937549
を起点にモヒカン族関連の記事をいくつか読んだ。
モヒカン族の全貌(?)はまだ把握してないんだけど、とりあえず思った事などメモ。多分いろいろ勘違いしている。

Webpageに表現した“私”を見て、と訴えるメンヘルの人に対して、“私”なんかじゃなくてHTMLのソースを見てしまうのがモヒカン族か。Webが技術+妄想で出来てるとしたら、メンヘルのひとは妄想を、モヒカン族は技術をとる。妄想と技術を平和に、でも抑圧的に統合しようとするのがムラ社会メンヘル=“私”原理主義モヒカン族=技術原理主義ムラ社会=共同体、あるいは“世間”原理主義
メンヘルの人とモヒカン族の人は噛み合ってないけど対立もしていない、ねじれの位置にあるように見える。だから上のリンクでの論議は、別にメンヘルvs.モヒカン族の問題ではないな。メンヘルの代弁者を僭称するムラ社会の人が、その仮想敵として同じムラ社会の人をモヒカン族に見立ててるって図だ。
ただ実際のところ、ムラ社会が我々の唯一の現実ではないかとも思う。我々は皆多少はムラ人なわけで。ムラにいながらムラ社会を批判する必要があるからこそ、モヒカン族は(あるいはメンヘラーにおける過剰な“私”も?)蜃気楼のように峠にあらわれたのだ。いや、知らんが。
で、このムラには(a)戦いに惹かれているムラ人(彼等がモヒカン族を幻視する)と(b-1)平和が好きなムラ人と(b-2)苦悩するのが好きなムラ人がいて、上のリンクのrir6さんは(b-2)のような気がする。芸としてはキライではないです。苦悩芸。

別の話。
よく言われることだがネットでの議論の勝ち負けはROMが決める。で、その場合論点より自分を守ろうとしていることが周囲に見透かされて自爆、というパターンが多い。“要するにあいつは自分を守りたいだけのお子ちゃまだな”と思われたらその瞬間に負けだ。このパターンの負けを回避する戦略としてモヒカン宣言http://mohican.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%83%a2%e3%83%92%e3%82%ab%e3%83%b3%e5%ae%a3%e8%a8%80)は理にかなっている。モヒカン宣言では議論から“自分”は可能な限り排除されている。自分を守らず、共有の知識を守るという態度をとればみっともない負けは回避できる。
もっとも、この戦略自体が徹底した自己防衛のソレに見えてしまうこともある。まことにオノレの幻影を捨てる事は難しい。
その点でモヒカン族の長がタイラー・ダーデンだってのはナルホド、という感じであります。

デバンカーとモヒカン族

と学会にいるデバンカー系の人とモヒカン族の行動ルールはかぶるように思う。
また、モヒカン族が自分たちを“滅び行く種族”としているのは、と学会の人たちが自分達が常にメディアの少数派であること(疑似科学本の方が疑似科学批判書よりはるかに売れている)を強調するのとかぶる。