イングロリアス・バスターズ

戦後に南米でナチの残党が見つかるとナチスの亡霊なんて呼ばれたりしたわけですが、この映画で描かれるのはナチスの亡霊じゃなくていわばユダヤの怨霊。ナチスの亡霊は過去から甦ってきて現代の人を脅かすけど、ユダヤの怨霊は逆に映画と言うメディアを使って歴史そのものを以下ネタバレにつき省略。
ブラッド・ピット率いるナチスぶち殺し部隊イングロリアス・バスターズの面々はほぼサイコパス、でなければ怨霊的存在として描かれていて、まあフィクションの世界ではこの二つは似たようなもんかもしれません。連中は神出鬼没でナチスをぶち殺しては頭の皮を剥いでゆく。本当に剥いじゃうので、グロいのが苦手な人にはお勧めはしません。逆に「今日はちょっとナチが頭の皮を剥がれるところを見たいなあ」という人にはお勧め。いやグロいの苦手な人も、そういうシーンは指の隙間から見る事にして映画館に行ってみた方がいいかも。たいへん面白いので。
しかしタランティーノは戦争映画の普通の戦闘シーンにはどうもあんまり興味ないのな。基本的に少数対決のシチュエーションで話は進みます。会話劇の中でたかまっていくサスペンスとか悪いやつのいかにも悪そうな笑みとか、つまり、いつものアレですか? いつものアレです。しかしこのアレは非常に高まったアレで、長尺の上映時間もまったく飽きさせることはない。
いつものアレといえば音楽の使い方がまたいつにもましてアレで、デヴィッド・ボウイの歌声が映画館に響き渡ったシーンでは悶絶しました。いやかっこいい、かっこいいんだけどもッ! 映画館の椅子の中で身をよじったのだった。あれが映画的快楽なのかなんだか良く判らんが快楽ではあるーーでもタランティーノのどや顔が背後に浮かんでなんか素直に感動できないーーや、でも最後は良かったです。怨霊(妄想)が現実に印を刻み込む、っていう。
タランティーノは常にがんばってて偉いなあって思った。基地外に刃物っていうかね。それ誉めてない。