久生十蘭『キャラコさん』

青空文庫久生十蘭『キャラコさん』全11話を読んだ。
図書カード:キャラコさん

剛子は退役陸軍少将石井長六閣下の末娘で、今年十九になる。しかし、笑ったり跳ねたりしているときは、十七ぐらいにしか見えない。
 剛子とは妙な名前だが、これは剛情の剛ではない。質実剛健の剛である。長六閣下は、これからの女性は男のいいなりになるようなヘナヘナではいかん。竹のようにしなやかで、かつ、剛健な意志をもたねばならぬという意見で、それで剛子と名づけた。剛子は父の望みを嘱されているのである。
(中略)
 剛子には、もうひとつ、「キャラ子さん」という名前がある。
「キャラコ」のキャラは、白檀、沈香、伽羅の、あのキャラではない。キャラ子はキャラコ、金巾のキャラコのことである。
 剛子がキャラコの下着(シュミーズ)をきているのを従姉妹たちに発見され、それ以来、剛子はキャラ子さんと呼ばれるようになった。
 ある日、社交室の満座のなかで、槇子がキャラコの由来を披露したので、みなが腹をかかえて笑い、思いつきのいいのに感服した。
 すこし手ざわりの荒い、しゃちこばった、この貧乏な娘にいかにもふさわしい愛称だと思われたからである。それで、だれもかれもがこの愛称で剛子を呼ぶようになった。

つうわけで、まっすぐで気持ちのよい気性のお嬢さん、キャラコさんを主人公にしたお話。キャラコってのはインド綿の事だそうで。
新青年』に連載された作品。毎回キャラコさんの性格が人の心を開いて問題を解決する様を描く。時に少女小説風でもあるんだけど、『新青年』って少女も読んでたのだろうか。

この小説が書かれたのは1939年、日中戦争が始まったけど日米開戦はまだ。端々の描写がそんな時代を感じさせて面白かった。

 会場へ行くと、入口に大きな国旗をつるし、
  南京光華門突入決死隊の一人、佐伯軍曹軍事講演会々場
 という大きな紙の立看板がたてかけられてあった。

南京陥落について、傷痍軍人が公会堂で演説してる。あー戦時中だなーと思うじゃないですか。
でも別の話ではキャラコさんは金持ちのカナダ人のヨットの客になっていて、

 扉(ドア)をノックして英吉利(イギリス)人の室僕(バトラア)が二人、胸をそらしてはいってくる。
 ひとりは、寝室用の細長い朝食膳をもち、ひとりは、大きな銀のお盆にさまざまなたべものをのせている。
 さきに入ってきたほうが朝食膳の脚を起こしてそれをキャラコさんの膝の上にまたがせると、もうひとりは、銀盆をそのうえにのせ、スマートな手つきでちょっと食器の位置をあんばいし、キャラコさんの胸のへんにナプキンをひろげて出てゆく。
 いろいろなものがのっている。
 夏蜜柑の冷やしたのが、丸い金色の切り口を上へ向けて、切子硝子の果物盃(カップ)の中にうずまっている。一匙ほどの枝のジャム。チューブからしぼりだした白い油絵具のような、もったりとした生牛脂(クレエムフレェシュ)。蜜柑の花を浮かせた氷水(アイスウォタア)。人差し指ほどの焼き麺麭(パン)。熱いアップル・パイの上にヴァニラ・アイスクリームをのせた、れいのアイスクリーム・ア・ラ・モードというやつ。それから小さな湯わかし。その下でアルコール・ランプがチロチロと紫色の炎をあげている。
 盆のはしのところに朝顔の花が一輪。その下に名刺がある。ひらがなで、「おねぼうさん」と、書いてある。アマンドさんの息子のピエールさんのいたずらだ。

なんだこのヨーロッパ風で優雅な朝食は。
キャラコさんが久しぶりにあった御学友の描写。

 袖の短い、ハイ・ネックのジャージイの服を無造作に着こなし、ハンドバッグのかわりに、れいの、ヒットラー・ユーゲントの連中が持っていた、黒革の無骨な学生鞄(ブウフザック)を抱え、新劇の女優とでもいったような、たいへん、すっきりしたようすで立っている。

ユーゲントのファッションが流行の先端だったんですなあ。