フラナリー・オコナー全短篇(上・下)

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

一つ短篇を読む度にショックを受けてしまうので一気に読めなかった。先日やっと最後の短篇を読み終えた。いくつ入ってたんだ。(数える)27篇か。
まあこれだけ苛烈な作品ばかり続く本もめったに無い。作者は全てに容赦しない。お婆さんが死ぬ。おじいさんが死ぬ。子供が死ぬ。信念が破壊される。教養と良識は力を失う。はっきりいって読んでてキツいのだけど、オコナーの描写が読み手に与えるヴィジョンは鮮烈で、また人物造形が的確で面白いのも確かで、くそーキツいなー面白いなーと悶えながら死に読み、読み死んだ。

オコナーは難病を負いながらこれらの作品を執筆し39才で亡くなった。限られた短い時間の中でも、後でこの人は充分に生きたと思える仕事をした人と言うのは確かにいる。

こういう本を読むといわゆる読書会というのをしてみたくなる。他人の感想をきいてみたい。オコナーはカトリック作家なのだけどその方面の知識が私は無いので、そのあたり詳しい人に話を聞きたいとも思う。というか、読んでる間中ボクシングのスパーリングで一方的に殴られっぱなしになってる気分だったので、他の人と痛みを分かち合いたい。
いや、まあ、でも、無理だな。本を読むと言うのは結局は個人的な事なので。こういう本は特にそうだ。

酷い話が多い。ほとんどが救われない結末を迎える。「じゃあどうすればよかったんだよ」といいたくなるような。『障害者優先』の父親なんて、確かに偽善的で本物の共感を欠いてはいるが、でも一応善意で動いてるんだし、ここまで酷いことにならなくてもいいだろうと思う。
だけど、たぶん、登場人物たちにふりかかる酷い事態は、罰では無く啓示なのだ。オコナーは人間が壊される瞬間を描く。それは自分の信じているもの、愛しているものの喪失であったり、自身の死であったりする。破壊の瞬間に、開示されるものがある。オコナーは読み手の鼻面を掴むとその瞬間に向かって容赦なく引っ張ってゆく。そこには怖いほど迷いがない。