『デス・プルーフ in グラインドハウス』

とかくこの世は脚と尻

アメリカのマンガ家でロバート・クラムという人がいまして、フリッツ・ザ・キャットとかが有名ですが、この人が女性のお尻と足が大好きで、王様になって国中の女のケツを独占したい、なんて夢想をそのまんま作品にしたりしてます。
この映画を見てクラムのことを思い出しました。
てのも尻と脚ばっかり出てくるもんで。冒頭から女の子の足、そして尻。女の子はみんなホットパンツかミニ履いてる。乳も気にならなくはないが何より尻であり脚。カメラアングルは不必要に尻寄り。
最後のオチも、女の子の長い脚がスカっと決めてくれます。

男が書くガールズトーク

はほんとにガールズのトークなのか。どないだ。よくわからん。
この映画ではいつものタランティーノ的会話を女の子が延々と繰り広げてて、例によって些末なところをぐるぐる巡って、映画オタ発言も出てくる。そもそも出てくる女の子がみんなタランティーノの妄想キャラだ。あの子たちの皮をむいたらいつものチンピラが中に入ってると思う。つうか小さなタランティーノが入ってる。女の子の皮かぶってる分だけちょっと会話のキレが悪かったかもしれん。
映画の中程で映るコンビニの雑誌コーナー、何故か雑誌の表紙がソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』のスチルだらけでした。なんとなく妄想映画対決の図という気もした。いや見てないんだけど『マリー・アントワネット』。

エロ親爺の純情

そんなわけでこの映画は尻と脚を見せつける若いおなごばっかしが出てきて、あまつさえ映画の前半でタランティーノはそんな娘さんたちが集まるバーの主人役で出てきたりして、変態中年親爺のエロ妄想具現化ということで80パーセントは説明できてしまうような気も。
ただエロ親爺だけどなんつーか不思議とマッチョじゃない。エロ妄想で脳みそはぱっつんぱっつんに膨らんでるけど現実の女性には奥手なんだろうなあという作り手の中学生的な心性も透けて見えるような。そのへんかわいいといえなくもないような。

ともかくもう、全部妄想

ですよねー。そういうとこは好きだ。

カーチェイス場面を見ると

昔、まだソ連があった頃、ソ連の人たちにアメリカという国についてどう考えるか日本人がインタビューをしてまとめた本があったんだけど*1、その中でハリウッドの映画について、ソ連の市民が「あちらの映画は大変面白いが、人民が作った貴重な車や建物を壊してしまうのはよろしくない」というようなことを言ってたのを思い出します。
この映画でも『バニシング・ポイント』に出てきたとゆーかっこいい車、ダッジ・チャレンジャーがかなりひどいことになってしまう。うわーMottainaiとちょっと思った。まあそこがまたヤケクソ感を加速して、いいのだけど。
後半。攻守反転してからカーチェイスが始まります。そっからはもうズガガガガバビューンバババドカドカジャリグガガガガガガガガバビビビーンって感じで、ゲシゲシゲシグガガガバガガガガガッって来て、ドガンガンガンガガガガガガと続いたあたりでバガベドンバラベリバラボリ、ババグガンベゴンバソンバダバダバダ、グガッドガドガガガドガシャーーーンとなった所を一気に引きづり出してバキッボキッブキッベキッブガッグゴッデグッ、ドガッ、ドゴッ、ドフッ、となって最後に一拍置いてスコッ、ズガーンと来たとこでエンドロール。
…ともかく、その攻守反転する瞬間は最高に気持ちいいです。その後は一気に知能指数ゼロ地帯((c)町山智浩)へまっさかさまなのです。

映画を見終わった夜

夜道を歩いてたら、後ろに女の子を乗せた自転車が前の方から来た。不意に女の子が片方の足からサンダルを落とした。自転車から降りた女の子は、サンダルを拾うともう片方のサンダルも脱いで、自転車のかごに入れると、裸足で再び自転車の後ろにまたがった。自転車とすれ違う間際、女の子の裸の足をじっと見つめそうになったのは、多分この映画のせい。

*1:ソ連人のアメリカ観』下村満子