『LOFT』(黒沢清監督)

ひとつ下のエントリはしばらく前に書いたのだけど、長い割にはツマラン気がして載せませんでした。

なんでそれを引っぱり出したかというと、黒沢清の『LOFT』を観たせい。先の文章で私は決して本体にたどり着けない他者への恐怖についてうだうだと考えたのですが、『LOFT』もまたそのような他者への恐怖を描いた作品のように思えました。

以下『LOFT』についてうだうだと書きます。ネタばれをすごく含みます(あと、私の思い込みによる諸々の強引な解釈・変形も含みます)。


『LOFT』での恐怖の対象は何度も移り変わっていきます。中谷美紀が突然吐くチョコレート色の泥に始まって(これは恐怖というより不吉なだけだけど)、隣の廃屋に現れた謎の男(豊川悦司)、豊川が持ち込んできたミイラ、黒服の女の幻影、編集長の暴力…恐怖の対象は次々に移っていって、恐怖の"本当の"焦点は定めがたい。ミイラは中谷美紀の家に持ち込まれた夜に恐怖の対象になりますが、編集長が来ることによってただの物体に戻ります。その編集長が二度目に中谷の家を訪れたときは、彼自身が恐怖の対象になっている…という具合。

恐怖の連鎖は明らかですが、恐怖の本質はちっとも明らかになりません。恐怖の本質にあるものが明らかになった(そしてそれから解放された)と思える瞬間が2回ありますが、いずれも乱暴にひっくりかえされます。おすぎがこの映画について"結局は安達祐実の怨念なんて、ばかばかしい"というようなことをどこかで書いていたけど、それはたぶん、ちょっと違います。この映画の恐怖の中心は安達祐実でもミイラでもない。安達祐実やミイラは、彼女たちの向こうにある"わけのわからない何か"からのメッセージを伝えているだけです。そして、そのメッセージの連鎖が恐ろしい。

ところでこの映画での安達祐実ですが、なかなかに生々しいキモチワルさです。特に豊川悦司との場面では、身長差のせいもあって邪悪なコビトにしか見えません。フリークとして安達祐実を使うというのは、なにかこう、スレスレを通り越してる気がして笑ってしまう。
つうか、豊川悦司中谷美紀も笑っちゃうんだよなあ。特にあの風のなかでのキスシーン。唐突に盛り上がる音楽。なんですかあれは笑わずにどう観ろと言うのですか。しかし私が観た映画館は馬鹿笑いできるような雰囲気でもなく、苦しかったです。
豊川悦司はマジメな顔をして言うマジメな台詞が何故かえらく可笑しくなるという人で、この映画でもキメ台詞が面白かった。中谷美紀豊川悦司に比べると生真面目さが目立ってオモシロ度は下がりますが、終始美しかったです。岡崎京子の後期作品のキャラを実写にしたらかくあらん、という感じでした。『嫌われ松子』の時とは大分違います。
まあそんなわけで『LOFT』は笑えた映画でもありました。だいたい、豊川悦司がお隣さんの中谷美紀の家を訪れて思い詰めた表情でいきなり
「…預かってほしいものがあるんです…ミイラ」
というような映画を笑うか怖がるかというのは難しい問題だ。怒って席を立つか、でなければあきらめて臆面もなく展開される荒唐無稽を飲み込むしかないでしょう。

豊川悦司が暗い部屋にミイラといっしょに座っていたら、外から中谷美紀がやってきてスリガラス越しに豊川のいる部屋を覗き込むシーンがあります。部屋は暗いので中谷からは中の様子はわからない。スリガラスに顔を近付ける中谷。豊川は、スリガラス越しに中谷の顔の映像を、何か神秘的なものを見るようなまなざしで見ます。スリガラス越しに映る中谷の像は、おぼろで、美しくて、無気味です。
このシーンは他者のイメージがはらむ魅惑と恐怖を描いていて象徴的だと思いました。私は他者が恐怖だとばっかし書いていますが、他者は恐怖と反対の、希望のメッセージを伝えることもありえます。豊川にとっての中谷は希望をつたえるメッセンジャーです。
それがあんなオチに至るのは、まったく意地が悪いとしかいいようがないけれど…

この映画での豊川は、なんだかカフカ『掟の門』の農民のようでもあります。農民が掟の門の前で動けなくなったように、彼はミイラを前に動けなくなる。ミイラは死と生の間で曖昧に宙づりになったひとつの境界です。それをようやく破壊して先に進んだかと思うと、そこにはミイラと同じような存在である安達祐実がいます。掟の門の向こうに、同じような門があるのと同様に。

それにしても安達祐実て。別に安達祐実に悪意はないけどちょっと「何かの冗談?」と思ってしまいます。おすぎが怒るのもわからなくもないような。
安達祐実はもともとアンバランスな人形めいた姿形ですが、この映画の最後の場面ではまさに壊れた人形のようなモノとなって現れます。それと引き換えに豊川悦司は深淵の彼方に連れ去られます。すみやかに。スピーーーーーーディーに。
この場面で安達祐実(のようなモノ)が晒すあっけらかんとした無惨さと圧倒的な無意味さは、まるで伊藤潤二のマンガのオチです。これをばかばかしいと見るかどうか。私はウヒヒヒヒと引き攣り笑いながらも、実に正確で厳密な展開だと思いました。
最後の場面を支配する巻き上げ機の律儀な動作ぶりは、カフカが『流刑地にて』で描いた処刑装置のようでした。

しかしあのオチを豊川の側から解釈すると、中谷美紀も結局のところ彼を捕まえるための罠の一つだったように見えます。この映画がある一つの呪いを描いたものだとしたら、その呪いの焦点は最初から豊川悦司にあります。中谷は目くらましに過ぎない。だとするとこれはつくづく、意地悪な、悪意に満ちた映画だなあ…他者に希望はない。恐怖と呪いしかない。

恐かったし、笑えたし、意地悪さにはぞっとして、総体として大変面白かったです。でも誰にどう勧めていいのかさっぱりわからない。
明解だけど説明しがたい。というのはこの監督の映画ではいつものことだという気もしますが。まあ、そんないわくいいがたい明解さを目撃したい人にお勧めしたい。