水族館劇場『NADJA 夜と骰子とドグラマグラ』

久しぶりに訪れた博多埠頭は風が強かった。昔は博多パラダイスと呼ばれていたタワーの横を通り過ぎると、砂利敷の駐車場に、見慣れない芝居小屋のシルエットがくろぐろと見えた。鉄パイプで組まれた櫓に絡みつく樹木の枝が、この小屋の経てきた永い時間を感じさせる。でも実際は、わずか20日ほどで建てられた仮屋なのだ。高いところで旗が風にはためいていた。ああ、いいなあ、と思い、…
…しかし存外人が少ないな。というか、有り体に言って誰もいないではないか。来るのが早すぎたか。さて受付はどこだろう。
きょろきょろしてると、一緒に来たYさんが看板の一隅を見て「あれ?」と言った。
「本日休演日って書いてありますけど」
「え」

その夜のツイート。


二日後。

二日ぶりに来た博多埠頭は風が強かった。昔は博多パラダイスと呼ばれていたタワーの横を通り過ぎると、砂利敷の駐車場に、見覚えのある芝居小屋のシルエットがくろぐろと見えた。鉄パイプで組まれた櫓に絡みつく樹木の枝が、この小屋の経てきた永い時間を感じさせる。でも実際は、わずか20日ほどで建てられた仮屋なのだ。高いところで旗が風にはためいていた。ああ、いいなあ、と思い、…
…そして今日は、劇場の前に三々五々と集まっている人々の姿が見えた。

受付のテントに行って整理券とパンフレットを受け取った。
整理券として渡されたのは切り開いたマッチ箱で、裏にマジックで番号が書いてあった。なんだかイカニモだなあと思いつつ、期待もたかまる。私はこの手のいわゆるテント演劇を見るのはは初めてだ。イカニモを越えた何かを見ることはできるだろうか。

工事現場の監督風の男性が劇場の前に立って声を張り上げていた。作業着を着てヘルメットをかぶりタオルを肩にかけた男性(劇団を率いる桃山邑氏、ということをあとで知る)が、地べたを指して、この辺まで集まって下さい、真ん中がいいよ、前の人はしゃがんで、などと呼びかけている。連日の公演で声は枯れ果てているようだったがそれでも喉を振り絞って口上は続いた。
やがて芝居小屋の前の砂利敷で、観客が見守る中、プロローグが始まった。

たいまつを持った男たちが駆け込んでくるところから芝居は始まる。続けて多彩な登場人物たちがひと通り現れ、語り、叫び、つぶやく。隔てられ忘れられた人々、密航者、狂人、異国の神々。亡霊たち、オシラサマ、故郷を喪い地上をさまよい続ける民の群れ。
空の夕闇に向かって垂直に伸びたやぐらの上で、赤襦袢の姉妹がバイオリンを弾きはじめた。
集まった登場人物たち全員によるうたが始まった。

プロローグが終わると観客は小屋の中に導かれ、階段状の桟敷席に座って舞台を見ることになる。
舞台の中央に緑の水をたたえた正方形の池があるのがまず目をひいた。正方形の池は、観客席側を除く三面を3つの建物に囲まれている。見世物小屋、娼館、ボロ屋。この芝居の前売り券は赤いサイコロの展開図になっていたのだけど、この舞台の配置も、サイコロの展開図を思わせる。
三方のセットが裏表に回転することで舞台の時空は自在に変化した。ちょうどサイコロを転がすように舞台上の時空は移り変わってゆく。
芝居の中で起きる出来事は夢野久作ドグラマグラを大きな素材の一つとしているけども、ドグラマグラの舞台上での再現と言うよりは、素材を切り刻み再配置するコラージュの方法で作られているように見えた。
だからこの芝居にあるのは、夢野久作ドグラマグラの、偏執的で緻密な論理とは違うものだ。なんでもありのコラージュ世界には時事的な話題も自由に放り込まれる。たとえばドグラマグラのあのブゥーーーーーーンという時計の音は、放射線を測るガイガーカウンターの音に重ねられる。ロシアから来た少女ナジャは、チェルノブイリの記憶をつぶやく。そういうのはまあ、乱暴といえばといえば乱暴かもしれない。でも、ある種の自由さと、必要だからやっているという切実さを感じた。
様々なルーツからから呼び出された断片の組み合わせがみたことのないスペクタクルを形成していく。これは方法としてのコラージュの真骨頂だ。第一幕の終わり、娼婦=母=恋人であるガラが大量の噴水とともに池から宙吊りになっていくところはエルンストの作品のようだと思った。

全体を通して、役者さんたちの熱量には圧倒された。大量の水を使った演出と芝居小屋の空間全体がつくりだす視覚的なスペクタクルにも圧倒された。
劇の構造としてはしかし、これはもっと先があるんじゃないかという気がした。コラージュ的な方法のせいかもしれないけど、登場人物や要素はどれも魅力的で印象に残るが、劇を牽引する軸が見えづらかった。もっとも、その軸の不在こそが大事なのかもしれない、とも思う。

フィナーレの、夜の海の奥から「彼ら」が現れるシーンは素晴らしかった。「彼ら」を召喚するための3時間だったことが得心された。

上演後は観客も参加できる簡単な打ち上げがあった。あろうことか参加してしまう。私だけだとひとりお茶を舐めて終わりだったろうけど、一緒に来てくれたYさんのお陰で、役者さんたちから興味深いお話をいろいろ聞くことができた。
Yさんに感謝。