男の世界

小田嶋隆さんのhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110908/222523/が面白かった。

 でも、本命は「マッチョ」だ。
 どういう理屈で原子力を擁護するのであれ、その心の奥底には、原子力のもたらす圧倒的な熱量を賛美するテの「美意識」があずかっている。その「美意識」は、宇宙飛行士が宇宙の深遠さに憧れていたり、F1のメカニックがスピードに魅了されていたりするのと同じ種類の、直線的な傾斜を含んだ、中二病に似たものだ。われわれは、それに抵抗することができない。というのも、何かを欲しがっている時、われわれは、ガキだからだ。


 原子力は男の世界だ。学者も作業員も推進者も官僚もほとんどすべて男ばかりの、いまどき珍しいガチムチなサークルだ。
 そういう著しく男密度の高い場所では、「怖い」という言葉は、事実上封殺される。誰もその言葉を口にすることができなくなるのだ。


 でなくても、一定以上の人数の男が集まると、その集団は、必ずチキンレースの原理で動くようになる。
 なぜなのか、理由はよくわからない。が、経験的に、必ずそうなる。
 とすると、原発を止めるための理屈は、「怖い」ではいけないことになる。
 マッチョな男たちの心をとらえるもっと魅力的な理屈を誰かが発明しなければならない。
 その言葉を見つけるのは、とても難しい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110908/222523/


これ読んでなんとなく思い出した、1973年、『プレイボーイ』誌におけるカート・ヴォネガットのインタビュー。
アポロ17号の打ち上げについて、ヴォネガットはインタビューアにこう語る。

ヴォネガット (略)わたしたちが発射場へ行く気になったのは、スウェーデン人の新聞記者がニューヨークのあるカクテルパーティーで、打ち上げのたびに感動のあまり泣いたという話をしてくれたからです。それにわたしの兄も、「いちど打ち上げを見にいったら、きっと来たかいがあったと思うだろうよ」と言ったからです。
 ーーさっき、セクシュアルだったとおっしゃいましたが。
ヴォネガット あれ(月ロケットの発射)は途方もない宇宙的性行為ですが、その事実を押さえ込もうとするある種の陰謀がありますな。だからこそ、発射に関する記事がみな非常に低調なんですよ。発射を眺めるのがいかに腹腔を刺激する経験であるかを、だれもほのめかすことさえしない。納税者たちは、発射台から一マイル以内にいるたかだか数千人の変人どものために、税金でオルガスムを買い与えているという事実を見抜いたら、なんと思うでしょうかね。たしかにこいつは途方もない満足感を与えるオルガスムです。つまり、全身が震え、まさにあらゆる感覚を失ってしまうのです。それに海面を激しく震動させて伝わってくるあの音にはなにかがある。音を聞いたとたん思わず脱糞してしまうような振動数があると思うのです。だからあれはズーンと腹にこたえるんですよ。
 ーーどのくらいつづくのですか、その音は。
ヴォネガット たっぷり一分間というところでしょう。夜の発射でしたから、昼間にはとても不可能なほど長く見ていることができました。そのために音まで長く聞こえるようでした。しかし、ほんとうのところはわかりません。まるで自動車事故のことを語っているようなもので、自分の記憶を信頼できないのです。すさまじい光が目の中に残像を作りました。あんなものは見ないほうがよかったのかもしれない。
 ーー周囲の人々の反応はいかがでした。
ヴォネガット みんなもう夢中でした。宇宙相手にセックスのお遊びをしていたのです。その最中はおとなしくてね、終わったあとはご満悦のていでした。
(『ヴォネガット大いに語る』飛田茂雄訳より)


ヴォネガットアポロ計画の意義に懐疑的だった。人命と大金費やして月に行く前にアメリカは地上でやることが山積みだろう、という意見。まあ当時アメリカは戦争だの紛争だのやってたわけで…今も変わらんが。


ヴォネガットは『ザ・ビッグ・スペース・ファック』というタイトルの短編を書いている。内容はタイトル通り、地球環境の荒廃が進んでやけくそになった人類が精液をロケットに詰めて宇宙に向けて打ち上げる、という話。純朴なSF少年だった小学生の私はとあるアンソロジーでこの短編を読んでしまい、イッタイコレハナンナノダと困惑するのだがそれはまた別の話)


まあ、さすがに原発がマッチョ志向だけで作られたとは思わないし、アポロ計画が性衝動だけで推進されたとも思わないけど。
ただ、巨大な科学技術の方向性を決める複雑な議論の最後の一押しを、性衝動やマッチョイズムが押してしまうようなことはあるかもしれない。あるような気がする。


いや、人間も動物なので、そういう部分をどうこう言ってもしょうがないですけど。しかし動物にしてはちょっと扱いかねるくらいややこしいものを作ってしまったなあとは思う。原発だけじゃなく、いろいろと。


マッチョな彼らはしかし、扱いかねるなんて弱音は決して吐かない。自分は常に現実をしっかり把握して、合理的な選択をし続けるのだーーという顔をして、握ったハンドルを手放さず、ひたすら前へ前へと。前進あるのみ。Per aspera ad astra (苦難を経て天へ)!