『電話文学散歩』

用があって区役所に行った。区役所のロビーには小さな本棚があって、区民が持ち寄ったらしい雑多な古本が時間つぶし用に並べられている。なんとはなしに背表紙を眺めてたら、『電話文学散歩』(幸尾保之・昭和42年)という本があった。
電話文学とはなんぞと思って目次を開いてみると明治から昭和までの文学者の名前と作品名が並んでいる。古いところでは斎藤緑雨内田魯庵二葉亭四迷、昭和の方は三島由紀夫松本清張吉行淳之介ナド。本文をぱらぱらとめくってみると、どうもさまざまな文学作品の"電話"が出てくる場面を解説したものらしい。
著者は執筆当時、電電公社(今のNTT)の経営調査室の管理課という部署にお勤めだったようだ。巻頭にある「推薦のことば」を書いてるのはその経営調査室の管理課長。直属の上司ですな。曰く、

 本書の著者幸尾保之君は、かねがね古今の文学に造詣が深く、多くの書に親しんでいる人であるが、君の熱心な職業意識が無意識のうちに働いたのか、それらの本を読んでいるうちに、電話に関する記述が多彩で、しかも面白いことに気づいた。
 そこで、これを自分だけの印象に留めておくだけでなく、系統的に整理して、文学から見た電話の歴史を綴ることを思いたったという。私はこのような着想の非凡さに驚くとともに、内容に付せられた巧みな解説になんともいえぬ愛着を感じるので、ここに、あえて推薦の筆をとることとした。

というわけでこれは電電公社の文学好きの人が書いた"電話から見た近代文学抜き書き集"なのだった。版元は東京出版センターで、多分自費出版なんじゃないかと思われる。
本棚の掲示を見ると、一人二冊までだったら自由にお持ちくださいということだったのでもらって帰ってきた。

たとえば永井荷風『かし間の女』(昭和二年)からは

上村はそのまま自動電話を掛けにと外へ出て行って暫くして還って来た。

という一行を引用して

 この自動電話はこれまでにも述べたとおり、正しくは自働電話と称し、今でいう公衆電話のことである。むろん、交換手が接続する、いわゆる手動式であったが、大正十四年に自動式電話交換とまぎらわしいために公衆電話と改称され、現在に至っている。
 小説に戻ることとし、このときの上村の電話の相手は弁護士である。他にここで登場する電話の持ち主は、酒屋と歯科医である。今日の公社用語に従えば、いわゆる事務用電話であり、一般庶民にはまだまだ縁遠いシロモノだったのであろう。自働電話が公衆電話と改称された背後にも、単に、自動式交換とまぎらわしいとか、パブリック・テレフォンの直訳ということだけではなく、そのような感覚が当時の人々の間に潜んでいたのかもしれない。公衆電話だけでなく、公衆と頭につくものをいくつか上げると、公衆浴場、公衆便所、公衆溜り、公衆衛生、等々いずれも筆者にはいい響きを持った言葉としては聞こえて来ない。その点、「赤電話」や「ピンク電話」はシャレた愛称というべきだろう。

と解説している。
解説があまり小説の内容と関係ない気もするけど、まあそれも味だ。
著者は文学と電話が大好きだったんだなあ、というのはよくわかる本だった。



ところで昔の電話文学と言うと夢野久作の『鉄鎚』なんか好き。なんか戦前に書かれたサイバーパンクって気がするんだよねぇ。