護法童子(花輪和一)

護法童子

護法童子

やれうれしや。かつて双葉社刊の一巻だけ入手して二巻を読んでなかった花輪和一の『護法童子』が、ぶんか社から全一冊で再刊された。ようやく続きを読む事ができました。
ネット見てたら今まで二巻だけ持ってて一巻がなかった、というひともいたので、そういう人と私が合体すればよかったのだが、まあなかなか近所で見つけだすのも難しい。
『護法童子』は中世の日本を舞台にした物語で、旅する二人の男女の児童が合体して護法童子に変身、苦しむ民衆を救済していく。いや、救済しなかったりもするんだけど。護法童子が御都合主義的ヒーローとして登場し話にケリをつける話もあれば、酷い境遇に落とされた少女が護法童子と関係の無いところで勝手に救済されて、護法童子は最後のコマで一人「な〜んのこっちゃい」とつぶやいていたりするような話もある。
神仏も人も勝手に動くのが花輪作品における因果のありかただ。ドラマの法則なんて知ったこっちゃない。
二人が合体して一人のヒーローになる、というとバロム1とかアイゼンボーグを思い出す。あっそういえばアイゼンボーグって愛染妙王から来てるんじゃねえの、『護法童子』と同じ仏教ネタじゃないかね、と一瞬思ったが、調べてみるとアイゼンボーグは合体する兄妹の名前が善と愛なのだった。まあ作り手は愛染妙王が念頭にあったのかもしれないが。
で『護法童子』だけど、変身する前の二人は実にふざけたマンガマンガした顔をしている。この二人が合体して端正かつリアルな顔の護法童子になるというのが、なんだかよくわからない。わからないけど面白い。
花輪作品では、主人公が子供の場合、決まって頭が大きくて目の大きな子が出てくるのだけど、この作品の護法童子に変身する子供達は違う。いつものキャラだと描けない何かがあったんだろうなと思う。その点を考えてみようかと思ったけど、いや、そういうこと考えるのは"違う"。花輪和一のマンガは、これはもう、こーゆーもんです。作品をそのまま受け入れるしかない。
作者は「信貴山縁起絵巻」からヒントを得てこのマンガを描いたという。護法童子のイメージや信貴山というモチーフが絵巻物から来てるんだろうけど、なによりこの作品の底に流れる時間が絵巻物的な気がする。過去と現在が明確に分離されず、曖昧な一つの塊になっているような時間。現代にこういうマンガ家がいるってのが不思議だ。現代はひょっとすると現代ではないのかもしれない。何を言い出すのか私は。