ユリイカ2009/03 特集諸星大二郎

諸星大二郎を読め、と常に思っている。

年末に姪や甥が実家に来た。彼らの目につく本棚にそっと諸星作品を置いてみたのだが手に取ろうとしない。中学生の彼らでも入りやすいマイルドめの作品を、と思って『碁娘伝』や『栞と紙魚子』あたりを置いてみたのだが。ジャンプ読みで『銀魂』ファンの彼らは、隣にあった『ピューと吹く!ジャガー』ばかり読む。諸星だってジャンプの漫画家だったんだがな。

いいから諸星大二郎を読みやがれ、と思うのだ。
まあ、でもね、こういうのは無理に押し付けて読まされても面白くないでしょう。だから直接は言いませんでしたけども。

諸星大二郎インタビュー(って珍しいね)とか、幻の初期作品『硬貨を入れてからボタンを押してください』など。読み応えのある特集でした。
『硬貨を〜』は『COM』の投稿作品。皮肉の利いた70年代SF短編で、既に完璧に諸星大二郎の作品になってる。この後のデビュー作『ジュン子・恐喝』よりよっぽど「らしい」作品。
ところでこの本の中田健太郎「共同体の開かれ 無為なるものへの想像力について」で安部公房への言及がある。

 すでに明らかなのは、諸星の描く外部への憧れが、楽天的な夢想ではまるでないということだ。むしろ彼は、共同体から離れていこうとする個人の想像力の可能性を、それが抱えることになる困難とともに描いているようなのだ。このように考えるとき、われわれは諸星のいくつかの作品が、意外なほど安部公房の問題系の近くにあることに気づくだろう。『砂の女』などの作品(「たとえば『カンガルー・ノート』)において、安部公房が問うていたのも、共同体からのある種の「失踪」の可能性にほかならなかった。

同感なのだけど、こういう文脈とは別のとこで、諸星大二郎安部公房が自分の中で繋がった記憶がある。
諸星大二郎の作品で最初に読んだのは多分『不安の立像』で、小学校6年生か中学生くらいの頃だったと思う。同じ頃に私は安部公房の『壁』を読んだのだった。
新潮文庫の『壁』は安部真知の挿絵も印象的なのだけど、その中の一枚はこんな絵。

この黒い布を被った二人は"ドクトル"と"ユルバン教授"、『壁』の主人公の中の曠野を調べる為に、つかまえて胸を切り開こうとしているところです。
で、諸星『不安の立像』はこんな。

刀を掲げたドクトルたちに比べると随分卑屈ですけど。でも、なんだか似てる、と当時の自分は思ったんですね。そのせいもあって、この黒布を被った顔のない「何か」の姿は、えらく強く印象に残った。
そしてそれから十数年後、あびゅうきょの影男シリーズで再びこのイメージに出会ってお茶を吹くことになる。

まあそういうことなのです。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

不安の立像 (ジャンプスーパーコミックス)

不安の立像 (ジャンプスーパーコミックス)