からっぽ

雑念の海を漂う午前中、女の子の無防備なオデコを見るとなんだか不安になるなあ、とふと思い、しかしおとなの女性のオデコだったらそれほど不安にならないなあ、と気づき、つまり見る人を不安にさせないオデコを獲得したとき少女は大人になるといえるかもしれんなあ、と考えて、なんじゃそらわかりにくいにもほどがあるわ、と脳内で自分に突っ込み、ここまで無言で考えているだけの自分がほんとうにどこまでも独りであることにあらためて気づいて、そこらの壁を無性に蹴りたくなった。

想像の中で自分自身から一歩離れ、自分の脳の中を透視してみると、そこはちょうど夜中に独りで見るあらびき団の画面にそっくりで、狭いステージに入れ替わり立ち替わり誰かが登場しては何かをやって去っていくぼやけた映像が見える。しかしあらびき団と違って東野と藤井がいない。あらびき団においてあの二人がいないとステージの上で行われている事はお笑いなのかどうかもよくわからなくなるわけで、理念としてのあらびき団*1はあの二人がきわどい一点でTV的な意味をつなぎ止める「かろうじて」のところで成り立っているのがキモなわけだが、その一点がなくなってしまえば、残されたステージは無意味の海を漂うただの箱でしかない。中で誰かが何かをやっているだけの箱。それがつまり今の頭の中。私はおぼろげに動く"誰か"の影になってしまった。

生きながらこんなにからっぽな人間もいるということに人々はおおいに恐怖したという。

*1:実際のあらびき団は最近はちょっと違う感じだが