バイトくん・詩篇


先日、奥サンに『男おいどん』は負け犬根性の温床だから捨てろというようなことを言われてしまったひとのエントリをはてブ経由で読んで、まあ家族ってのもなかなか難しいねえと思いつつ、自分の本棚をふりかえって、この中のどのマンガならこの奥サンに捨てられそうかなーと、ぼんやり考えたりしたんですが。
どうも貧乏・ニートをとりあげて負け犬寄りの視線で世間を見た漫画がヤバい感じ。つげ義春…は貧乏だけど芸術ゲージツだから残してもらえるかな。福満しげゆきは危険か。でもうちにある本は『まだ旅立ってもいないのに』だけで、これも全体に芸術つか前衛ぽいのでなんとなくセーフなのではなかろうか。いましろたかしの諸作。うーん。どれもすばらしいんだけど理解されにくいかなあ。どこがすばらしいかを力説すればするほど理解の壁にぶつかりそうな予感。東陽片岡。これはまあ、貧乏でもしぶとく生きる庶民のバイタリティを描いているとか言えばいいのでは。吾妻ひでおの『失踪日記』。いやこれはノンフィクションで反面教師だから、と言い訳しよう。
あ、いしいひさいちの『バイトくんブックス』(チャンネルゼロ)があったな。貧乏でバカな大学生が主人公の、名作。
これ既刊7冊が手もとにあるんですが、裏表紙のコピーがすばらしい。1巻2巻は普通のコピー(「青春とは貧乏だ。超三流大学・東淀川大学に通い、超三流下宿・仲野荘に生息するバイトくんとその仲間がひきおこす、おかしくも哀しい青春ドラマ。」云々)なんだけど、3巻から突如ポエムになる。編集者入魂。か知らないけど、いい詞だと思うですよ。
ざっくり転載。

(『バイトくんブックス』3巻裏表紙)

おう、楽しかりし蒙昧の日々!
四畳半が、わが領土、それは中国よりも広かった。
世界一愚かな世界の中心。人生の一大事は、
自分の身の回り、半径だいたい三メートル以内の
ところで起こった。常食のラーメンよろしく
三分間で恋に落ち、それを食べるまに、
恋を失う、ということもあり、明け方に眠り、
夕方に目覚め、うすらぼんやりと日々は流れた。
それでまことに幸福だったが、
何がそんなに幸福だったのだろう

(『バイトくんブックス』4巻裏表紙)

四畳半に電気ゴタツが一つ、季節を
問わず置いてある。時々は風呂にゆき、
時々は歯を磨く。単純で不潔で自由な暮らし。
大学生で無知で、それでもしばしば議論をやる。
おまえと俺とどっちが馬鹿かといった類の。
マルクスがいってるんだけどさ、天は人の上に人を
つくらず。馬鹿そりゃリンカーンだろが、といった類の。
四畳半に電気ゴタツが一つ、季節を問わず
置いてある。主はいたりいなかったりだが、それで
重大な変化がある、というわけではない。

(『バイトくんブックス』5巻裏表紙)

四畳半一間流しつき、西向きの窓。
下宿の夏は暑い。いっちゃあ何だが物凄く暑いのだ。
だがふいに秋がくる。秋は淋しい。
ゴキブリでさえも流しの下の湿った場所で涙を零す。
冬の凩は、遠慮なしに部屋のなかにふきこむ。
コートを着て寝る。そして穏やかな春は
眠っているうちに過ぎてゆく。
また一年が始まる。
四畳半一間流しつき、西向きの窓。
全体いつまでここにいるつもりなんだろう。

(『バイトくんブックス』6巻裏表紙)

十八条大橋の下を神崎川が流れ、
われらの単位も流れる。
わたしは思い出す。怠惰のあとには悩みが来ると。
流れる水のように必須科目も
第二外国語もまた死んでゆく。
頭ばかりが悪く、ヤマはちっともあたらない。
日が去り、月がゆき、
過ぎた時も、二年の留年もまた帰ってこない。
十八条大橋の下を神崎川が流れる。
日も暮れよ、鐘も鳴れ、単位は流れ、今年も残る。

※元ネタは堀口大學訳のアポリネールミラボー橋』→ググれ

(『バイトくんブックス』7巻裏表紙)

あの頃われわれはばかだった。
ばかなのでばかなことばかりやって、
それなのにばかに仕合わせだった。
じつにばかな時代であった。

そして月日は流れた。ばかばかしいほど早く流れた。
悲しいことにわれわれはいまだにばかなのだ。
しかも悲しいことにあの頃のように、
ばかであることが、それほど仕合わせではないのだ。
ネジがばかになってきかなくなるように、われわれのばかも
ばかになってしまったのかもしれない。

なんかね、いいと思うんだがなあ。こういうの。駄目かね。いつまで学生気分なんだヨって叱られて捨てられちゃうかな。まあ一人だからいいんだけど。こんなだから一人なのかね。そうかも。