左右

歌手のハマザキさんの左耳が聞こえないそうで、大変だなそれはと思うわけですけども。全然レベル違うんですけど自分は今すごく右手が冷たい。左手は暖かいのに。子供の頃から身体の右と左の温度がチグハグだ。あと右目の視力が左目よりずいぶん悪い。鼻の穴が常にどっちか片方が詰まっているのだけどこれはけっこうありがちなことらしい。
身体の左右の温度の不一致についてはあんまり気にしてなかったんだけど、数年前に父親が脳こうそくで倒れたとき半身が少し不自由になったのを見て(その後回復したけど)、あー自分も脳の血管のどっかが流れ悪いのかもしれんなーと思った。そう考えるとちと恐いです。

唐突ですが、先日ふと思い付いて100円ショップで大きな模造紙とペンを買ってきて、その模造紙に思うまま形を書いていくということをやってみた。形というのは丸とか四角とかマンガの吹き出しの形とか手の形とか、まあ落書きです。落書きをどんどん書き込んでマンダラのようなものを描いてゆく。2008年の描き初めじゃ。そうやって小一時間描き込むと、なかなか無気味な図像の群れが出来上がりました。いやこれは強い電波を感じるわー。他人にはちょっと見せられない。
まーそれはそれとして、出来上がった図を見ると右と左で図の意味が違っているようで面白い。ユング的にいうとこれは……いや何か分析の方法論はあるんだろうけど知りません。ともあれ右と左、上と下、そこここに自ずから意味のようなものが生じているのが面白いです。なーんにもなかった紙の上に、何か地形のようなもの、磁場の流れのようなものができておる。ある意味風水的思考に近いようなものがモヤモヤとわいてくる。

そんでその図像を見ながらあらためて思ったんだけど、自分にとっての右と左はなんというか、まったく違う宇宙なのだなあと。何か別の人格が左右それぞれに宿っているような気がする。いや二重人格って訳ではなく、たとえば左右の重ならない像を重ねることでステレオの奥行きは成り立っているわけで、右のワタシと左のワタシの重なったところにワタシが浮き上がる。つまるところワタシってのは右ワタシや左ワタシ、上ワタシや下ワタシ、その他もろもろのワタシ群の配置から浮かび上がる立体像のようなものなのかなあと思ったり。

そんなわけで自分をネタにした妄想にふける遊びとしてなかなか面白かった。って不健全だなそれ。まあ妄想はともかく大きい紙に無心に落書きするのは楽しいです。