あけたまし


年末は実家のこたつでアランの『幸福論』とラッセルの『幸福論』を読んだりしてた。どっちも岩波文庫。あとヒルティというひとの幸福論をあわせて、世にいう三大幸福論なんだそうな。幸福論読み比べはなかなか面白かったです。20世紀初頭の前向きな精神の持ち方指南、という感じですか。どっちも面白いけど少々健全すぎる気はする。ともあれいろいろ啓発されました。これまで、あんまりこういうまっとうな啓発書読まなかったからねー。
大雑把にいってどちらも内面を過大評価せず行動を重視すること、気分を変えることよりまず行動を変えることを勧めています。鬱に対する認知行動療法にもちょっと似てる。というかほとんど同じような。20世紀前半の「鬱に対処する前向きな人生への態度」をまとめるとそうなるのか。それは現代人の鬱の出現と張り合わせになってるような気もするけど。
アランの幸福論は清明なリズムでまとめられた短い断章の集まりなので、読んでて心地いい。詩的な趣があって味わい深いです。ラッセルの方はさすがに賢人の文章。論理的で周到に組み立てられている。生真面目な訳文の向こうに書き手のユーモアが垣間見えるのも楽しい。機智に支えられた皮肉は楽しいね。機知抜きの皮肉は痛々しいだけだけど。と実家の老父を見て思った。いやそれは別の話。
で読み終えた年明け、実家の本棚をなんとなく眺めてたら、兄の本と思われるスヌーピーの古い英語のペーパーバックを一冊見つけた。たまたま開いたページで、ルーシーがチャーリーブラウンに"幸福"についてぼやいてた。いつもの橋の上での対話。
ルーシー「よく探せっていうのなら、よく探したわよ」「家の中に幸福を見つけようと思って探しまくったんだけど」「てゆーか隣近所も探しまくったのよね…このままじゃ幸福を探して国中見て回ることになるわ…」「で、世界一周したけど、見つからなかったってことになるんでしょうね」「そうして世界をひとまわりした後、家に帰ることになるんだわ」
チャーリーブラウン「そして我が家に帰ったら、君が探してた幸福がようやくそこに見つかるんだろ? 君のいいたいことってそういうことだよね?」
ルーシー「いいえ。私、きっと、昨日なくしたばかげたピンクのブレスレットを見つけることになるんだわ!」
ん。シニカルだ。1930年ごろの大人たち(アラン、ラッセル)の幸福論読んでやや前向きになってた脳内が、1970年代のマンガの子供たちの台詞でちゃぶ台引っくり返された感じ。ま、プラスマイナスでバランスがとれたということで。年頭のゼロ点調整ここに終了。
その後携帯で元旦の2ちゃん見たら、宮澤賢治のある作品が嫌韓厨の玩具にされてて少々うんざりした。それからはてブの方を見たら正月早々歴史修正主義云々で論争、というかなんだろうねあれは、記事とコメントのからまった糸玉のようなものができていて、うんざりした。まあテレビも特番を見続けたらうんざりしたし、新聞だって雑誌だってうんざりすることはあるし、街のひとごみ見てもうんざりするし、総じて世の中というのは断面を見るとうんざりするようなものではあるのかもしれない、とか利いた風なことを書いてる自分が途中から気持ち悪くなってきましたが。そんな私も世の中のささやかな一部。自分で自分にうんざりしてることにかけては人後に落ちないぜ。って総合的に意味が分からないぜ。
えーと。
まーなんだ、今年は動こうと思います。今年ももうあと360日くらいしかないわけだし。それから、できるだけジョギングを続けよう。今日久しぶりに走ったけど、ここんとこ休んでたから身体が重いわ。実際体重も増えたし。今日は6キロほど走りました。