恐怖を売る

先日あるきっかけで某マルチ商法についてちょっと調べた。とても有名なマルチの会社です。
セールストークのパターンがいくつかあるわけだが、その中で化学物質の危険性をことさら強調する、というのがある。洗剤等に含まれる恐い化学物質が皮膚からしみこんで蓄積されるのだー云々。"シャンプーの成分が身体にしみ込んで女性の子宮からシャンプーのにおいがするようになった"という、ちょっと前からある無茶な都市伝説の起原も、どうもこの辺らしい。毒物が「子宮」に蓄積される、というイメージは恐いなあ。男の場合はいんのうに蓄積されます。嘘です。世代ごとに子供の体内に毒物が濃縮されていくってわけだ。「だから最近アトピーとかキレやすい子供とか増えているんですよ。でもうちの商品を飲めば毒が体内から排出されるのです。そうしてきれいな子宮で子供を産みましょう、ね…」というような感じで迫るらしい。
ま、皮膚から身体にそんなにホイホイ異物が侵入して蓄積されるとは考えにくい。調べた限りでは、医学的にはヨタ話といってよさそう。
まー基本的に安全な社会で商品を売るには、恐怖を創造するのが早道だってことだよな、と思った。安全を売る人は現代社会がいかに危険に満ちているかを宣伝すればよい。煽られた恐怖や不安は選択を単純にしてくれる。りんごがいっぱいある時、その実の一つをとって「これが一番おいしいですよ」とすすめて客に選ばせることは難しい。だっておいしさなんて人それぞれだ。僕らはりんごにもいろんなおいしさがあるってことが知っている。でも「これ以外の他のりんごはどれも毒が入ってます」と言われたらそのりんごを選ばざるをえなくなるわけで。
安全とか幸福のイメージはそれ単体では曖昧で、イメージしにくい。イメージできたとしてもひどく単純で、退屈なものになる。それに対して恐怖のイメージはずっと具体的で豊かで迫力に満ちている。人間は基本的に恐怖への感受性を発達させてきた生き物じゃないかと思う。ものごとのリアリティは常に恐怖によって裏打ちされている。
マルチ商法においてこの手の恐怖の宣伝と過剰なポジティヴ・シンキングがセットになっているのはとてもわかりやすい。病的なポジティブ・シンキングは常に恐怖と裏腹になっているように見える。敗北すること、失敗すること、負け犬になることへの恐怖。表面的なポジティブシンキングによって恐怖は潜在化するけど、潜在化することでかえってその強さを増す。
まーでも考えてみれば潜在的な恐怖の宣伝てのはマルチ商法だけじゃなくて今の日本の消費社会にひろーく広がってるんだろう。マルチ商法が露骨さにおいて際立ってるだけで。岡崎京子が単行本のあとがきで、人間はいろんなものを怖がっている、というようなことを書いていたのをふと思い出す。