高い城・文学エッセイ

高い城・文学エッセイ (スタニスワフ・レム コレクション)

高い城・文学エッセイ (スタニスワフ・レム コレクション)

レムが少年期の記憶を綴った『高い城』と、SF・文学にまつわる批評を集めた一冊。
レムの文章はでっかくて堅い飴玉のようで、口の中に入れてもなかなかとけてくれません。しかし『高い城』はレムには珍しく、少年期の記憶の甘やかな細部にひたすら耽溺する様子が見られます。最初の方で語られるのは、子供らしいお菓子への執着やさまざまな小さな玩具の記憶。魔術的なモノどもに取り囲まれた少年時代の記憶が、個の視点と普遍的視点を往復する思索を織りまぜつつ語られます。後半で印象的なのは、少年時代のレムが熱中したという「架空の証明書体系」の作成と、さまざまな機械の実験的な"発明"。レム少年、ただの甘いものが好きなだけの太ったクソガキかと思ったら、実は知能指数180あったというだけのことはある。「架空の証明書体系」の作成はまるでカフカ、あるいはレムが後に書いた「完全な真空」「虚数」のような著作を連想させるメタフィクショナルな作品制作で、圧倒されます。またさまざまな機械の"発明"のためのスケッチは「泰平ヨン」に登場するレム自身による絵を思い出させます。電気エンジンを苦労して作るあたりはとても共感するものがあるな。少年の頃にこの手のまったく役に立たない「実験」をやった人は信用できる、というか。ガキは一度は役立たずのややこしい機械を作ることに熱中する必要があると思う。
文学エッセイの方はレムらしい徹底した論理性と批判精神の産物です。ある種の文学批評の疑似科学性を批判してるのが印象的でした。10年前に読んだらレムとはいえ頭が固いな…と思ってたかな。しかし今となってみるとレムはやはり正しいと感じます。愛想はないけどね…それにしてもレム、決して他人の作品を100パーセント褒めませんね。P.K.ディックについて書いた『にせ者たちに取り囲まれた幻視者』はディック作品の二流性を指摘しつつディックの想像力は擁護するというもので、最初読んだときは、ディック信者の私は喜ぶべきか怒るべきかしばし悩みました。でも今は、この文章はディック評価としては最も的確ではないかという気がしてます。