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風邪気味。
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正月に落語のテープを聴きながらあらためて思ったんだけど、落語家はなぜあんな風にたくさんの人物の会話を演じることができるのだろう。
いや何を今さら、ですが。
対話を一人でそれらしくやるというのはすごく難しい。文章に書くだけでも難しい。何が難しいって、多くの異なる人の"声"を再生するのが難しい。単純に声色や文体を帰ればいいと言うもんではないわけで。
「こんな風にカッコに入れれば一応会話文らしく見えるけど」
「でも対話にはなー」
「なかなか見えないんだよな」
「何か基本的なコツとかあるのかね」
「人間を描き分けるのが難しい」
「そもそも人間を描くと言うのはどうゆうことなのですか」
「昔の文学青年のようなことを…とりあえず、複数の他者を自分の中にとりこんで演技させなきゃいけない」
「演技するだけでも難しいのに! それが複数だなんて」
「ってゆうかさー、他者ってのは何を考えてるか分からないから他者な訳でさー」
「自分の中に取り込むと原理的に他者じゃなくなっちゃうよな。お前と俺の区別が付かないように」
「まったくだ。こうして一人で書いていくと先が読めていけない」
「まあお互い相手の考えていることがわかれば芸もできるけどな」
「まあな。一つの台詞を」
「続けてよどみなく言うことも」
「できるけど、こんな風に。しかし、つまらんな」
「なんでだろうな。他者を感じさせない対話はつまらん」
「予想外のものがないからだろうな。想定外の何かがないとな」
「今年は大丈夫なのかねソフトバンク」
「なんだ突然」
「いや想定外とか言うからさ」
「なんだ、全然分からなかったよ」
「はっはっは」
「はっはっは」
「…空しいな。全然想定外でない」
「まあな。ところでこういう掛け合いは書くのが楽だね」
「ある程度形の決まった掛け合いは他者もへったくれもないからね」
「リズムで書けるし、読めるよな」
「ラップだね」
「ヘイYO」
「YO」
「ラップ知らないから後が続かんな」
「でも会話にはリズムで流れる掛け合いの部分は確実にあるよな」
「漫才とか典型的だ」
「なんつーか、そういうのを書くにはいい耳が必要じゃないかとと思う」
「会話の耳コピな」
「そうそう。演技と言うより再現」
「人工知能と言うより人工無能
「人格をシミュレートしなくてもいいってことなのかねえ」
「つまり他者を理解しなくてもトレースできる技術が必要なのではないか」
「なんかマジメだね」
「マジメだ」
「会話らしくない」
「会話らしさって何だろうね」
「会話も煮詰まってくると連想やだじゃれの応酬になっちゃうけどな」
「ラクだからね。冗長度を高めてメッセージを薄める」
「でも演劇や映画や落語、マンガの会話はそうそう冗長にするわけにもいかない」
「だから名台詞なんてものが出てくるわけで」
「実際日常であんなに濃い台詞ばっかり口にしてたら、一言も聞き逃せないで疲れるよね」
「トミノ台詞とか」
「濃い濃い」
「ねえ」
「…って言う風に、お互いにうなずきあうばっかりになっちまうのが、こうやって一人で対話をでっち上げる時に陥りがちな罠だよなあ」
「なんせあんたも俺も同一人物だからね。同意しがちなのも無理はない」
「そうだよね」
「うんうん」
「うんうん」
「…いや、だからさぁ」
「ふと思い出したんだけど、芸人のテントさんの持ち芸で、クモの決闘ってのがあるんだよね」
「なんだそれ」
「いや知ってるでしょう。俺が知ってるんだから」
「右手と左手が蜘蛛になって戦うというやつだな」
「勝負に熱中してくると、本人にもどちらが勝つか分からないと言う。テントさんはどっちが勝つか師匠と賭けをして負けたそうだ」
「右手も左手も自分なのにねえ」
「…っていうんだけど、ほんとのところどうなんですかね」
「ほんとのところって」
「自分でも勝負の予想がつかないなんてことが、本当にあるのかどうか」
「さあねえ。でもあるのかもしれんね」
「でも動かしてるのは両方とも自分だよ」
「いやしかし、勝負の流れってのがあるでしょう。その時々の勝負の流れが十分に複雑だったら、どっちが勝つのか予想がつかない、ということもあるのかもしれない」
「そうかなあ。八百長無しかね」
「テントさんの顔を見る限り、それはないね。真剣にやってる」
「そんなもんかねえ」
「マンガとか小説で、登場人物が勝手に動いてしまうことがあるって言うでしょ。あれと同じなんじゃないかね」
「それもよく聞くけど、キャラクターが勝手に動くなんてほんとにあるのかね」
「まあ、あるんじゃないの」
「しかし勝手に動くって言うけど、何が動かしているのかね。まさかキャラクターが自由意志を持ってるわけでもないでしょう」
「自由意志ね‥」
「キャラクターがいつの間にか独自の命を持ちはじめる、という考え方は非常に魅力的ではあるけど」
「というかまあ、物語の暴走と言うか。物語に奉仕するために作者も予想しないところでキャラクターが死んだりする。意志って言うなら物語の意志なんじゃないかね」
「独自の命を持つに至ったキャラクターが、勝手に死ぬことでそれをアピールするのも皮肉だ」
「その点わしらはどうかね」
「まあキャラクターにもなってないからな」
「物語もない」
「今どっちが喋ってるかも正直わからんしな」
「そもそも区別しようにも名前もないしな」
「ま、気楽なもんではある。物語の都合で死んだりしなくても良い」
「うんうん」
(暗転)