ミラン・クンデラ『冗談』

冗談 (Lettres)

冗談 (Lettres)

一九八〇年、パリで、私の作品をテーマとするテレビでのパネルディスカッションがあった。その席でだれかが『冗談』のことを「スターリニズムへの一大告発」と呼んだ。私はすかさず言葉を挟んだ「あなたのいうスターリニズムは勘弁してください。『冗談』はラヴ・ストーリーなのです!」
(著者まえがき)

そういやザミャーチンの『われら』もオーウェルの『1984』もヴォネガットの『プレイヤー・ピアノ』もある意味ラヴストーリィだったな、などと思いながら読みはじめる。
第3章に描かれるルドヴィーグの体制下における不条理な運命と恋愛の行方を読んでると、やはり管理体制vsラヴてな軸で読みそうになるわけだが、4章5章6章と読み進むにつれて"○○vsラヴ"の○○の部分は体制だけじゃない、歴史性であったり時代性であったり宗教の問題であったりして、視点は幾重にも相対化され、小説の光景はどんどん多面的になっていく。登場人物同士の関係もたたみかけるように複雑になって行き、章を経る毎に新しい次元の奥行きが加わっていくような感覚を覚える。どんでんがえしが続くミステリのようでもある。
そして最後の第七章に至るとローカルなお祭りのパレードをめぐって登場人物三人の視点による描写が交錯し、この小説の持つ全ての次元がホログラムのように立体的に読者の前に浮かび上がる。ここはもう、読みながら、うわ、てなもんで、いや…すごいわ…参りました。
なぜこういう構造を作ることができるんだろう。チェコ人だから?作者が音楽を勉強してたから?時代性?
つうか60年代に書かれた小説にこんなにびっくりしている私もどうだろう。素朴なのだろうか。