保坂和志『カンバセイション・ピース』読みはじめ

保坂和志の『カンバセイション・ピース』の冒頭を読みながら、これに出てくる世田谷の家の間取り図をちらしの裏にメモした。つい図に書いて整理したくなるほど具体的な細かい描写ががなされているのだ。
小説を読みながら登場人物の関係図を書いたり、出てくる建物の見取り図を書くのは、場合によってはとても楽しい。

突然ですが、手塚治虫が昔、締め切りに追われながらの旅先でマンガの原稿をアシスタントに電話で"口述"したという話がある。どうやったかというと、手塚は方眼紙の上に絵を描いて、その線がたどる点の位置を「30の25、45の30…」みたいに電話で延々と口述したという。ファックスがない時代に、口述でデジタル情報を送ったわけですね。

平面上の図形を正確に伝達するなら手塚式がいちばんだと思うけど、『カンバセイション・ピース』は小説なのでそうもいかない。

 階段には仏壇の前を通って北側からも、南の縁側からL字に曲がった廊下からも行けるようになっていて、股すべりした手摺りのある階段はいまどきの、両側が壁になっている空間効率よく作られた階段と違って横の空間が一階から二階の天井まで吹き抜けになっていて、二階の高いところにはまっているガラスを通して、一日中光が差し込んでいる。

とか、

 台所は居間の北西の角にL字に貼り付いたようなような格好になっていて、居間にも玄関にも通じていて、台所とだいたい同じ幅で北側に畳敷きの二間があって、居間からも座敷からもそこに出入りができて、仏壇が置いてあったり、元からある和箪笥と洋箪笥が並んでいたりして、居間からトイレや風呂場にいくときは縁側を使わずに、北のこの二間を通っていく。だから普通の感覚ではこの二間は「廊下」で、北側だから昼でも薄暗いけれど、そこを抜けると階段があって、吹き抜けの高いところにあるガラス窓から射す光がなおさら明るく感じられる。

という風に断片的に書いてある。
こういう描写を図にする時に困るのは、これらの描写には寸法が表示されてないってこと。部屋の広さは畳何畳、という描写があるのでわかるけど、たとえば台所の奥行きはわからないし、北側にある畳敷きの二間の幅、奥行きもわからない。
つまり、X軸とY軸の絶対座標がない。手塚式でいうところの方眼紙がない。相対的な位置関係、相対的な大きさは分かるけども。
だからこういう描写から見取り図を書くときは、断片的な位置関係を描いておいて、それをできるだけ矛盾がないように組み合わせる、というパズルを繰り返すことになる。
そもそも感覚としての視覚には絶対座標がない。絶対音感を持っている人はいるけど、視覚における絶対スケール感を持っている人は多分いない。横にピースの空き箱を置かないと、大きさは分からないのだ。大きさに対する絶対感覚がない、というのはよく考えるととても面白いことのような気がする。
そういうこともあって、小説における空間描写は、方眼紙の上のそれとはずいぶん異なる。
…というようなことが、見取り図を描いてみるとわかったりします。

で、だいたいこんな感じかな、とメモがまとまったところで、ふと魔が差してWebで検索してみた。
作者のサイトに、寸法まで入った図面があった。なんとまあ。