大江健三郎の推敲
いや、tumblrで大江健三郎の原稿の画像を見かけたもので。
『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(文庫では『美しいアナベル・リィ』に改題)の冒頭だ。
この原稿から最初の文章を読み取ってみた。
肥満した老人が、見るからに重たげな樹脂製の
たわむ棒 を左手にせっせと歩いて行く。右側を、やはり肥満した中年男が青いたわむ棒 を握って歩く。老人が右手を空けているのは、足に故障のあるらしい中年男が重心を失った時、支えるためだ。狭い遊歩コースを正面からやって来る者らはドキリとする様子だがたわむ棒 の二人組は歩き続ける…
老人が(私だ)、数年前、心臓を配慮して水泳を止めた時、クラブのコーチに努めて歩くようにといわれ、それなら息子の足を引きずる癖を直す歩行訓練を兼ねることにしたいと乗り気になった。コーチは、二本の大きい棒をくれた。これを持たせて歩けば、光さ
推敲後はこうなる。
肥満した老人が、重たげな赤い樹脂製の
たわむ棒 を左手に、早足で歩いて行く。その右脇を、肥満した中年男が青いたわむ棒 を握って歩く。老人が右手を空けているのは、足に故障のある中年男が重心を失った時、支えるためだ。狭い遊歩コースを擦れちがう者らが興味を示すけれど、たわむ棒 の二人組は、かまわず歩き続ける…
老人が(私だ)、不整脈を発見されて水泳を止めた時、クラブのコーチに努めて歩けといわれ、息子の、足を引きずる歩き癖を直す訓練を兼ねようと乗り気になった。コーチは、二本の大きい棒を贈ってくれた。これを持って歩けば、息子さ
フォントの装飾で推敲を表現するとこんな感じ。一旦消してまた元に戻した部分もある。
肥満した老人が、
見るからに重たげな赤い樹脂製のたわむ棒 を左手にせっせと、早足で歩いて行く。その右側脇を、やはり肥満した中年男が青いたわむ棒 を握って歩く。老人が右手を空けているのは、足に故障のあが見えのあるらしい中年男が重心を失った時、いかけるとった時、支えるためだだ。狭い遊歩コースを正面からやって来る擦れちがう者らはがドキリとする様子だが興味を示すこともあるけれど、たわむ棒 の二人組は、かまわず歩き続ける…
老人が(私だ)、数年前、心臓を配慮して不整脈を発見されて水泳を止めた時、クラブのコーチに努めて歩くようにけといわれ、それなら息子の、足を引きずる歩き癖を直す歩行訓練を兼ねることにしたいようと乗り気になった。コーチは、二本の大きい棒を贈ってくれた。これを持たせって歩けば、光息子さ
大江は長編を書く際は第一稿を書いたあと、ほとんど原型を留めないまでに編集・推敲を繰り返すらしい。この原稿での推敲は細かい表現の調整が主だから、ほぼ最終稿なのかな。
手元の単行本を見ると二箇所ほど違ってたので、さらにこのあとにも修正が行われたようだ。
肥満した老人が、重たげな赤い樹脂製の
たわむ棒 を左手に、早足で歩いて行く。その右脇を、肥満した中年男が青いたわむ棒 を握って歩く。老人が右手を空けているのは、足に故障のある中年男が重心を失った時、支えるためだ。狭い遊歩コースをで擦れちがう者らが興味を示すけれど、たわむ棒 の二人組は、かまわず歩き続ける…
老人が(私だ)、不整脈を発見されて水泳を止めた時、クラブのコーチにから努めて歩けといわれ、息子の、足を引きずる歩き癖を直す訓練を兼ねようと乗り気になった。コーチは、二本の大きい棒を贈ってくれた。これを持って歩けば、息子さ
推敲の跡を辿ると思考の過程に触れられるようで楽しいですな。PCで書くときも、こういう痕跡がうまく可視化出来たら面白そうだけど。