携帯で考える

ハローワークを出て、近くの公園に座って缶コーヒーを飲んでいるところ。
携帯から書いている。
ハロワにいたら例によって手詰まりな気分になって、ツイッターに気持ちを吐き出したくなったが、考え直してこちらに書くことにした。
携帯でここに書き込むのも久しぶりだ。


ツイッターにしろblogにしろ、何かに言葉を出力しないと考えることができないという感覚がある。
大学ノートでは駄目だ。内側に入り込みすぎる。入力と出力がすぐに閉じてしまう。
考えるというのはいくらかはパブリックな行為だ。全く完全に一人では、ものを考えることはできない。


私がただ考えるだけにもツイッターやblogを必要とするのは、要は友達が少ないからだ。すぐに一人になってしまって、思考がくるくると同じところを回り始める。頭の中に自分しかいない。


それは孤独というのとは違う。もっと情けない未成熟の問題。狭い穴ぼこにすぐ落ち込んでしまうと言うこと。


いや、でも、成熟という言葉で問題を考えるのはやめようとこないだ思ったんだっけ。マジックワードすぎるので。そりゃ成熟の問題だ、と言ってしまえば大抵の問題は解決出来る気がするが、それは大抵の場合、ただの思考停止だ。革命、とかと同じこと。線を引いてあっちが内側と言ってるだけ。