人工無能とtwitter、blog

ランダムな文を作る人工無脳のテクニックはblogではワードサラダblog、twitterではbotという形で応用される。
ワードサラダについてはこちらwikipedia:ワードサラダ
ワードサラダblogはどうしたって非人間的にしか感じないが、botは時に愛すべき人間的キャラとして認知されることがある。
違いはなんだろう。
一つは文の作り方だ。botは引用句をまるごとつぶやくタイプが多いので、一文一文は自然なものになる。
ワードサラダは文節単位で文をリミックスすることが多いので、しばしばまったく意味の通らない文ができあがる。
もうひとつは文の長さ。twitterbotは140字以内の文しかつぶやけない。一つか二つの文だ。
ワードサラダblogの記事はもっとずっと長い。当然支離滅裂な印象も大きくなる。
そして読まれ方。twitterbotは短い文のやりとりの中で読まれる。雑踏の中でのつぶやきは、多少意味が通らなくても、かなり自由に文脈を補完して読まれる。さらにつぶやきの類は、意味よりも印象で読まれる。
それに対してblogの記事はまとまった「読み物」だ。読み手はそこに筋の通った論理展開を期待するが、もちろんワードサラダblogにそんなものはない。


twitterの魅力はTLに様々な生きた人間の言葉がうごめいている点だ。それは意味以前のエロスと言ってもいいかもしれない。
twitterにおけるbotは、このエロスを多少なりとも模倣できているように見える。
つまり:人間のロジックはコストを掛けないと模倣出来ないが、エロスは低コストで模倣できる。真剣な相談相手になるような人工知能を作るのは大変だが、twitterでキャッキャウフフと馴れ合うbotを作るのは比較的容易い。逆に言うと、twitterは機械もすなるキャッキャウフフを人間たちがやってる場だ。