『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』伊藤比呂美

とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起

とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起

 トランスパシフィック〈たいへいようをこえて〉
 何回も何回も飛行機にのってトランスしました。いや祖母のトヨ子ならともかく。太平洋〈パシフィック〉を。東から西へ。西から東へ。どういうわけか、西から東へのほうが、格段に長くて暗くてつろうございます。あんまりつらいので、これはじつは旅行なんかじゃない、死んで、黄泉ノ国から帰ってくる行為かと思うのです。
 娑婆だ娑婆だと思いながら行き着いたそこは燦々と輝く太陽があり、まっ青な海があり、広々とした家があり、公園があり、自然があり、消費生活は爛熟し、食べ物に満ちあふれ、人々はふくよかでしかも豊かで、貧しい人々に気前よく物を施し、すれちがいざまに目が合えば人なつっこくほほえむのです。

※〈〉部分はルビ

娑婆だ娑婆だ、のところでああああにぎやかだあんまりにぎやかすぎるページを閉じたほうがいいかも、と思った。もちろんそう思ったら実際には読み続けるしかないわけで。
ところで娑婆とは何かをあらためて調べると

娑婆(しゃば)は、サンスクリット語梵語)sahāの音訳で、我々が住む仏国土(三千大千世界)の名前。sahāには「大地」という意味がある。漢訳では「堪忍」という訳語が充てられることから、この世は、生老病死(しょうろうびょうし)や人間関係、さまざまな欲望など、煩悩に耐えていかなければならない世界であるという解釈もある。そうしたことから娑婆と名付けられ、また、「忍土」ともいう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/娑婆

しかしそんな娑婆が娑婆だ娑婆だと二回繰り返せばそれはシャバダバダ、そのまんま日本から西海岸へ乗り込むスキャットのリズムになる。アメリカ、東京、熊本、さまざまな土地の(または本の、電話の、Eメールの)さまざまな言葉が層をなしてページの上でざわめいてただならぬにぎやかさ。
たくさんの声の重なりの中で語られるのは老いていく心と身体の、そのつながりとしての家族の、まあ具体的かつ難儀な物語ではあります。あとはどう要約しても嘘になりそうなので読んでくだされ、としか。
これ連載時にちょっと立ち読みしてて、なんかところどころ神がかってんなあ、というのは別にトランス状態で書かれてるって訳じゃないですよ紛らわしいですが、できがすばらしいと言うことです、以上挿入文終わり、と思ってたが、一冊の本として読み直したらやっぱりすげー。いやまあすげーのは知ってたけど。

後半でモチーフの一つに使われている小栗判官の物語についてはむかし近藤ようこがマンガ化したやつを読んでたのが理解の助けになりました。近藤先生ありがとう。