さいふ

ここ数年使ってた財布の底が抜けた。先日そのせいでお金を落としてしまった。落とした金額は思いだすのも癪なので書かない。
お金落とすと凹むね。自室のベッドにへたりこんでさめざめと泣いた。いや嘘だけど。まあ半日ほど胸がイヤ〜な虚脱感に占領されてた次第。
で、反省しました。財布の穴が問題なのではない。財布の底が抜けてたのにほっておいくような心性こそが問題なのだ。ここは是非とも新しい財布を買わなければならない。あと散らかり放題で床が見えないこの部屋の掃除もしなければならない。まあ、財布が先だ。
というわけで、新しい財布を探しに街に出ました。街には冷たい雨がそぼ降っておりました。財布、財布、私の新しい財布はどこだ。濡れながら彷徨った。
しかしまあなんだ、買おうと思ってみると財布って高価いのな。なんだか不当に高価い。いや不当ではないのかもしれませんが、ちょっと高級なのだとン万円とか。そんなのは買えない。では安くなるとどうか。100円ショップでも財布は売ってますな。こっちはまた不当に安い。まあ安いのは歓迎なんだけどー、んー、とちょっと買うのは躊躇われる品々が並んでる。なんか妙な飾りがついていたり、使いづらそうなデザインだったり、突拍子もない色だったり。
財布なんて機能的でシンプルで丈夫だったらいい。無駄な装飾はいらない。小粋なロゴもいらない。光る金具とかはもちろんいらない。そうやって減点法で探して行くと、高級な財布はもちろん買えないけど、安い財布も買えなくなっていく。高い財布が素材や洗練されたデザインで競争しているとすれば、安い財布は無駄な細部の工夫で競争しているからだ。いやまあ競争になってるのかどうか知りませんけど、ともかく変な細部をくっつけることでみかけの多様性をつくり出すと言う戦略がそこにはある。ような気がする。
私が欲しいのは安く買える合理的でシンプルな作りの財布なのだがなぁ。正しい貧乏人の為の財布はどこにある。いや正しい貧乏というのが幻想なのだろうけど。お金がなくなると事態はシンプルになるどころか無駄な細部が増えていく。どうもそういう仕組みになっているみたい。