愛と憎悪と親切

ヘイトスピーチの対義語はなんだろうか、とぼんやり考え、普通に考えるならラブスピーチか、でもラブなんていうとなあ、ニューエイジ的トンデモ市民の"拡がれ善意の輪"みたいなのをイメージしちゃうんだよな、まあ別にラブに反対するものではないがその手の言葉もまたヘイトスピーチ同様妙な伝染力があったりするのが気に食わない、つーか最後に洗剤とか売り付けられそうな気がするんだよなあの手は…実際のところそのニューエイジサヨクシミン的ラブとレイシストネットウヨク的ヘイトは同じ仕組みに思えるわけで、何が同じかと言うとどっちも陰に陽に恐怖を煽ってるように見えて、単なる悪口とヘイトスピーチ、あるいは普通の笑顔とMLM勧誘者の笑顔の違いはそこにあるんじゃないかと思うのだが、この手のスピーチは外部への恐怖を煽る事で内部の安全や親密さを強調し、君も暖かくて安全なこっち側へおいでそして外の連中が滅んでいくのを眺めようってなもんで、まったくうんざりする。

あ、これもヘイトスピーチみたくなってきた。句点なしで書き続けてくとちょっと頭おかしくなるね。でまあ思ったんですが、ヘイト(&ラブ)スピーチの対義語は「親切トーク」かなあと。いやまあそんな言葉はないが。親切という言葉はヴォネガットの言葉(つか正確にはヴォネガットのところにきたファンレターの言葉)「愛は負けても親切は勝つ」から持って来ました。親切ってのは他人にするもんで、路上で道聞かれた時に教えるのは別に愛も憎悪も恐怖も共同体も関係ない。聞いて来た人が誰か、答える私が誰かも関係ない。なんかね、そういう言葉を私は増やしたいです。駅はどっちにあるのか適切に伝えられるような言葉。伝染力なんてまるでないけどどこかの知らない誰かには実用的かもしれない言葉。いわゆるモヒカンの考え方にもちょっと近いかも。