本田透『喪男の哲学史』

喪男の哲学史 (現代新書ピース)

喪男の哲学史 (現代新書ピース)

だいぶ前にホの字さんに紹介されてたのをようやく読みました。本田透初読み。異様に熱っぽい語りと必要以上に力の入った注釈が読ませます。ちゃんとした哲学史の知識がないからわからないけど、ひょっとするとこれは西洋哲学史概観として普通によくできてるんじゃないか。いやわからないけど。
頭の中をスッキリ整理できた気がしたけど、これで整理してしまうのはちょっと問題あるやもしれん。でも面白いので良しとします。
哲学史喪男非モテ)の苦闘の系譜として読んでいく本なわけですが、これって生物として遺伝子を残せない人たちがどうやって精神の遺伝子=ミームを伝えていったかっていう話でもあるよなあ。まあ喪男が継承していくミームの中核にあるのは、モテないというろくでもない苦悩だったりするわけだが…ろくでもないから、苦悩するのだ。
最終章で手塚マンガについてちょっと触れた部分

手塚マンガは「萌え」と「喪」の二面性を備えています。絵柄は丸っこいぷにぷにした絵で、いまのアキバ系ロリ絵の元祖ともいうべきタッチなのですが、そういうキャラが燃えたり死んだり食べられたりするわけです。残酷なんです。喪です。
(略)
手塚は萌えキャラを描くことで、自らの、そして読者の内面の喪性を癒そうとする。だがその一方で、最終的には「リアル」を追求するために萌えキャラを破壊してしまう作家だったのです。

このあたりは大塚英志手塚治虫における記号的身体云々、という論とほぼ同じ、というかそれを踏まえてるんだと思いますが、そういや先日海外のblogで、手塚作品のこの点に違和感を表明している記事を見た。
http://comicsworthreading.com/2007/03/31/apollos-song-due-in-june/

I know Tezuka is deservedly well-respected, and I’m disappointed in myself for not appreciating his work more, but I have a really hard time reading a story that features rape and violent death when the characters look like they should be starring in a happy Disney movie for six-year-olds. The cartoony style gets in my way, which is odd, since I don’t have a problem with serious material drawn in a simplified fashion in American independent comics.
I think, and this is an odd thing to say, it’s all the highlights on the large eyes. I just can’t cope with sparkling eyes watching soldiers strip a girl before sexually assaulting her. Nor can I reconcile a story about horror and cynicism with its cute characters.

超訳

テヅカがすごーく尊敬されてるのは正当なことだってわかってるけど、自分でも残念なことに、私は彼の作品をうまく受け入れられなくて…というのも、ディズニーのお子さま向けのハッピーな映画に出てくるようなキャラでもってレイプとか暴力的な死が語られる話を読むのが、私はとても辛かったのよね。シリアスな題材の場合、アメリカの独立系コミックスみたいなシンプルなスタイルだとしっくりくるんだけど、あのいかにもマンガっぽいスタイルは、私にはどうもへんてこな感じがする。
思うんだけど、まあ妙な話に聞こえるかもしれないけど、問題はあの大きな瞳の中の光じゃないかな。これから少女を襲って服を脱がせようとしている兵士を見つめるキラキラした瞳、なんていうものにどう対処していいのか私には分からない。恐怖とシニシズムについての物語とかわいらしいキャラクターの取り合わせってのも、私はどうも、うまく結び付けることができない。

マンガの海外進出は目覚ましいけど、この辺にまだでっかい壁があるのかも。「萌えと喪なんですよ!」と外人さんに力説してもわかんないだろーな…いやどうだろう。手塚は海外に輸出されたけど、いつの日か本田透は輸出されるんだろうか、みたいな事を考えたり。