『愛のひだりがわ』筒井康隆

愛のひだりがわ

愛のひだりがわ

荒廃が進んだ近未来の日本で、一人の少女が失踪した父を探しに旅に出る物語。岩波から出たジュブナイル
まあ手練の作者だから最初から面白く読めるんだけど、いろんな面で若干センスが古い印象は否めない。
その中で、あ、いいな、と思って引き込まれたのは第四章。
主人公の少女と少年は旅の途中である女性の家に匿ってもらうんだけど、これが「童話に出てくる人食い鬼の家」なのだ。いや実際には暴力的な工員の夫が内縁の妻を虐げている家なのだけど、意識的に童話のイメージを下敷きに描かれている(ように見える)。そのためか、読みながら強い懐かしさを感じた。

「ここにしばらくいたらいいわ。だけど、主人がいるときには、ぜったいに物音を立てないでね。主人は怒りっぽいから、あんたたちを見つけたら、すぐ追い出しちゃうよ」

そう女性に警告されて、少年と少女は物置きにしばらく隠れすむことになる。ああ、懐かしいな、この感覚。子供の頃に読んだ民話や童話で、繰り返しこういうセリフを読んだ。童話では、それを言うのは年老いた人食い鬼の妻だったり、召し使いの女だったりした。

この本が描く近未来の日本は要は現代日本の負の部分を強調した世界で、いわば棘のあるリアリズムで描かれている。そのリアルの上に、民話や童話その他の物語、B級映画やマンガにあったような"おはなし"の断片が重ねられる。
タイトルは主人公の愛という少女の左腕が不自由なことに由来する。彼女の左側には、不思議と彼女を守る存在(犬や少年、老人など)が現れることになる。
そしておそらくはこの本に投じられたさまざまな懐かしい物語の断片もまた、彼女の"左側にあるもの"なんだろう。現実を生きていくためには物語が必要だ。たくさんの物語の記憶に助けられながら現実を旅して、やがて旅の終わりに手に入れるのは、自分自身の物語、ということになる。