『エマ』と差別的表現

マンガの『エマ』ユダヤ人に対する差別的類型が見られることについて
マンガと差別問題「エマ」
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_ccc5.html
「エマ」
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_fad8.html

漫棚通信での指摘はもっともだと思う。しかし、コメント欄がずいぶん荒れてしまってる。
確かにわかりにくい話かもしれない。ユダヤ人差別って言われても日本じゃピンとこないし。相当するような身近な例を挙げようと思っても、今の日本ではあまり思い浮かばない。「思い浮かばない」こと自体が差別が意識でなく無意識に刻まれていることの証拠かもしれないが、このことについて深追いはしない。ややこしそうなので。

当然だが、ある人種のキャラクターを悪く描くことが即、差別的表現とされるわけではない。表現における差別は、差別する側が差別される側に押し付けたネガティブなイメージを“繰り返してしまう”ところに問題がある。
ユダヤ人の悪役を描いたからといって問題になるわけではない。しかし「袋をしょったユダヤ人の人さらい」というイメージを描くなら、その意図がなんであれ、差別の問題に触れることになる。それはかつての都市伝説的なネガティヴイメージの繰り返しだからだ。

もっとも、『エマ』で描かれたこの19世紀末当時のユダヤ人についての類型は今の日本ではなじみが薄い。それもコメント欄が荒れた一因になっている。そもそもそんな類型があるなんて知らない、自分にはあれはユダヤ人には見えないって意見だ。
作者は明らかに当時の(都市伝説的な)ユダヤ人像を意識した上で描いているようだし、この点について漫棚通信において追加説明も出てるのだけども。

『エマ』は、作者の時代風俗への耽溺が(その考証が正確かどうかはともかく)たのしいマンガだ。19世紀末イギリスでのロマンスを丁寧に描こうとしている。その中で作者は、あの時代の一つの悪夢の表現として、“ユダヤ人の人さらい”のイメージを描きこむのが自然に思えたのかもしれない。そして編集者は、あのキャラクターがユダヤ人であることはわかっていても、かつての都市伝説的な一類型であることに気付いてないのではないか。…だとしたらマズい。まったく無自覚なまま差別的表現を繰り返していることになるからだ。
そうではなくて作者も編集もちゃんとわかってやってて、何らかのエクスキューズを用意しているのならいいんだけど。そう願いたい。