一年経った日

あの日から一年経ったということは地球も同じ場所に戻ったのか、と思ったが、宇宙は膨張してるので、同じ場所とはいえないか。というかそもそも絶対空間というのはないわけで(略)


暑い。一年前はどうだったっけ。あのとき母は庭仕事をしていた。今も母は庭仕事に熱心だけど、さすがに身体がきつくなってきたようだ。生きている者は一年経つと一年ぶん老いるという当たり前の話。
うちの庭仕事は私も手伝ってはいるのだけども、これからどうなるんだろう、と考えることはある。この庭を世話する人がいなくなり、この庭がなくなり、この家がなくなるときというのは、いつかは来るのだろう。まあ、なんでも同じだ。風景は変わる。


今日は昼すぎに母とお寺に行った。冷たく湿った匂いのする地下の納骨堂に降りて、父の祭壇の前で手を合わせてきた。祭壇の前には父の友人の名刺が置いてあった。


毎年この時期になるとうちの庭の土にぼこぼこ穴が開いて蝉の蛹がそこかしこで羽化する。昼間は蝉の声がうるさい。玄関前のコンクリートの上には早くも蝉の死骸が転がって、蟻達が地道に解体を続けている。



上の写真は父が持っていたデジカメで撮った。
太陽から降り注ぐ熱量を何がしかの活動に変えて有限の時間を生きるという点では蝉も人も変わらないと思う。


自分の時間がつきる時空の一点のことを考える。誰もがそんな時空の一点を持っている。黒々としたその一点に向かって歩き続けている。その一点に到着すれば全て終わる。でもそれだけのことだとも思う。終わったことが無くなってしまうわけではない。過去はアクセスできなくなるだけで、全ての瞬間はそのままそこにあり続ける、というのが私のひそかに信じているところ。いやブログに書いてひそかにもないもんだけど。