記憶とマンガ

こないだふと思ったんだけど、記憶って静止画でできてるような気がする。
私の場合、過去のある場面を思い出そうとするとき、それは動画ではなく静止画でイメージされるようだ。もっとも静止画といっても、写真のような瞬間を切り取った画像ではなくて、一定の時間幅を持った曖昧さを含むスケッチのようなものだけど。
例えば、昨日喫茶店に入った時に左手の席に座っていた女の人がどんな服を着ていたかを思い出そうとするとき、私はいくつかの"絵"を思い浮かべる。喫茶店に入って、女の人の肩が見えた瞬間の視界。喫茶店の席に座って周囲を見回した時、女の人の顔が見えた瞬間の視界。女の人が立ち上がった時、ふとその背中を見た時の視界。その他いくつかの画像をてがかりに、私はその女の人の服装を再構成しようとするだろう。
これってどういう仕組みなんだろうな、と思った。視覚的な記憶は脳内ではどのように管理されているんだろう。
なんとなく、最初のデータは動画として記憶に流し込んでいる気がする。その中で注意を引いた部分にはタグをつけて保存し、なんの注意も引かなかった部分は捨てられる。そうやって視覚的記憶を、"あるシークエンスを代表する画像"の形で抽象化/圧縮して記憶におさめている…というような素朴な仕組みを、とりあえず考えてみた。
いや、別に何の研究も参照してないので、ほんとのところどうなってるかは知りませんけど。ほんとはもっと微妙で複雑怪奇なんでしょうな。記憶についていい参考文献があったら誰か教えて下さい。シロートにもわかりやすいやつ。
でまあとりあえず今のところ、記憶は私の中で「ある時間幅を抽象化した静止画の集合」として想起されてる気がする。
で、これって、要はマンガではないかと思った。映画の絵コンテも近い。
マンガのコマもまた、ある時間幅を圧縮した画像だ。たいていの場合、それは写真のような"瞬間を切り取った"画像ではない。たとえば二人のキャラの会話が一つのコマに書き込まれていれば、その会話の応答にかかるだけの時間が、そのコマの中に圧縮されている。写真が記録するのは微分的時間だけど、マンガのような図像が描くのは積分的時間だ。
で、私の記憶はそのような図像の集合で表現するのが一番自然な気がする。私の記憶は決して動画ではない。そもそも記憶が動画だったら一時間分の経験を思い出すのに一時間かかることになってしまう…それはまあ早送りするにしても、何かを思い出すときの"感じ"は、ビデオを見ているときの感じより、マンガの複数のコマを同時に視野に入れている感じに近い。私の記憶のありかたはどうも、映画よりはマンガに似ている気がする。
…えーと、書きながら自分でも思ったんですが、詭弁っぽいですね。個人の印象以上の根拠も特にないしなーーまあ思いつきのメモということで。