雨の日に美術館に行く

細かな雨が降る日に美術館に行きました。自転車を美術館の看板の前に停めて歩いて入り口に向かうと、福岡市美術館宇和島駅になっておりました。どういうことかというと、宇和島駅のネオンサインが灯っていたのだ。大竹伸朗展・路上のニュー宇宙
宇和島の「宇」の字がとてもいい形。宇宙の宇。字という字にも似ている。左右対称、には、ちょっと惜しい形。
皿洗いで疲れた身体を引き上げるように階段を上り、何やら流暢な日本語を話す外人とすれ違いつつ、チケットを買って、会場へ…その前に樹脂で作られた白いワニ様の形態が赤い口を開けている立体作品をしばらく眺めました。タイトルは“日本景/宇和島”、逆さにした船底のような形、一切のマチエールが消去された光沢のある白、何か惨事を思わせる鮮やかな赤。顎?をつなぐ蝶番。白地に赤、の、つるんとした、日本景。
会場に入ると最初に目に入ったのは巨大な“ペインテッド・マターI”、サイズがでででかい。でかいなあ。でかかった。コラージュを拡大したものに様々な表面処理、さらなるコラージュ、ペインティング、その他諸々を施した作品。塗ったり貼ったり拡大したり、どれだけ手を加えてるのかもうわからない。膨大な手間、膨大な情報。膨大な画面。
マテこの調子で一点一点書いていくのか。想像するだに腕が疲れる。ちなみにこの展覧会を見ている間は脚が疲れてました。疲労しない身体が欲しいです。
去年やった『全景』が2000点だか展示したんだって? いやはや。死ぬて。そんなん見たら。今回の『路上のニュー宇宙』は635点。これでも全部見ると、なんちゅうかもうガーーーーーッという感じになった。すいませんね擬音でごまかして。これも手の疲れを避けるためのアレで。
しかし作品を見るというのはどういうことなんだろう。だんだんわからなくなってくる。作家は一時間とか一日とか一か月とか一年とか、ともかく時間をかけて作品を作るわけで。それを見る。一瞬で見てもいいし、一時間かけて見てもいい。いっそ作品のオーナーになってしまって何か月も見続けたっていいわけだけど、そこには何か不公平、均等でないものがあるような気がする。
音楽だったら一時間の演奏を基本的に一時間かけて聞くわけじゃないですか。それは公平だと思うんだけども。まあこれは、むしろ音楽の方が特異なんだろうけど。
作品の後ろに渦巻く時間を見る人はスキップしたり一時停止したりして見ている。なんだか責任を放棄しているような気もする。誰が放棄してるのかわからないけど。でも一つの作品を見終えて次の作品に移るとき、あンた、十分に見たか、ということを問われているような気がするンです。何故か小池一夫調で。いやしかしこれは誠実な観客たらんとしているようで、誠実ぶりっこみたいでヤだな。まぁ、入場料のモトをとれるだけとろうとすると、時に限度がわかんなくなるという話ですな。自分を見失う観客なのだった。
そして今回もまた私は、膨大な作品の数と、一つ一つの作品の中にある膨大な細部の前で、自分を見失いそうになるのだった。もうね、ガーーーーッって感じですよガーーーーーッて。また擬音か。どう書けばいいのだしかし。しょこたんならギザカワユスお!とかギガントカッコヨス!とか書くのか。あれはあれで正しい気がする。でも俺しょこたんじゃないしなあ。
635点の全部が傑作だとはいわないけど、どの作品にも見ることの快感のツボをヒットする部分が一つはあって、それは全然違うスタイルの作品でも変わらず、しかしこうなるとひょっとすると全部マガイ物、何かの詐欺、催眠商法なんじゃねえのという疑いも…でも私にはもう本物とかマガイ物とか区別が分からない。なんでも鑑定団の人が準拠するような価値判断のための歴史を私は知らなくて、まあそういうのもどっかにあるんだろうな、という程度に思ってるんだけど、それはきっと私が無教養なせいっつうか、日本人はだいたいハイカルチャーサブカルチャーの区別がついてないのよ、と誰かが言ってたような気もするが、そういうものですかフーン、といささか不安に思いつつ、さて目の前の作品はどうなのか、結論なんて出るわけもないけど、作品の圧倒的な表面はギガントオモシロスでどこまで見ても見飽きることがないっつうかね。いや、気のせいですかね。どうなんだろう。どうなんだろう。
いやまあだいたいコラージュって誰がやっても面白い。みうらじゅんのエロスクラップ見たことあるけどあれもすごかった。今回は大竹伸朗のスクラップブックが十数冊?もっと?展示してありましたけど、これが実に、うらやましかった。「大金持ちがいる!」って叫びたくなった。イメージの大金持ちというか、大イメージ持ち? すごい富の蕩尽を見るよう。スクラップ/コラージュって蕩尽だと思う。蓄積された富を一気に使い尽くす。いや実際にはスクラップ/コラージュは地味な作業の積み重ねではありますが。その地味な作業の積み重ねが膨大な量となって一気に目の前に現れるとこれはもう見る側はわわわわわっってわけもなく慌ててしまうわけで、こりゃもう大金持ちというか世界の王様と言うかすべてのイメージをこの作者は所有してるんじゃないかっていうか所有しようとしてるんじゃないかって思って…スクラップブックが感じさせるのは制作者の強烈な欲望で、それはみうらじゅんのエロスクラップもまったく同じなんだけど、圧倒的な量の前で私の目玉と脳が変な風に興奮してしまうというか欲情してしまう、様でした。脳がエレクチオンしてるのよッ‥ってだから何故小池一夫
ここまで書いて疲れた。また後日。
家に帰った私は何かへとへとに疲れててベッドにぶっ倒れて寝ました。12時間眠ってへんな夢を見た。巨大なキノコによじ上って、笠の付け根に腕を突っ込んで根元まで裂く夢。中はアリ塚になっていて、凶暴そうなアリがたくさん出てきた。