設定で萎える

はてブで話題になってた『鏡の法則』の話*1。私はB氏が出てきて彼が導師役らしいとわかったところで「あ、ダメだ」と思って以下飛ばし読みモードになった。"夫の剣道部の先輩"で"経営コンサルタントをしている"というちょっと立派そうな男が導師役で出てくる話なんてたいていはダメだと思うのだが、偏見だろうか。偏見ですね。ついでに言うとそういう男が"心理学では…"なんて言いはじめたらこいつはもう完全なばかだと思うね。心狭いねオレ。
まあなんつーか、こういうのはエロと同じで内容以前に設定で萎えるってことがあるわけで。

鏡の法則』と同じような内容で花輪和一が描いたらたぶん感動すると思うけど(親子間での因果の連鎖は花輪作品の大きな主題の一つだ。こんな生ぬるいものではないけど)。
もっとも花輪ヴァージョンだと子供は虫に変身したり、A子さんは体中をかきむしって土の上をごろごろ転がったりしそう。そしてB氏はずーっと木の箱に入っていたり。
みんなもっと花輪和一を読むといいと思う。人生に悩んでカルト的なものに近付くなら、花輪カルトに入信すべきだと思います。あっ真性信者のセリフだ。

読む人の9割が泣いたと言うふれこみの『鏡の法則』だけど、はてブの反応を見ると7割くらいは「ちょっとこれは‥」と引いているみたい。でも受け入れた3割のうちの9割は泣く、というのはあるかもしれない。泣いた人が近くにいる泣きそうな人に口コミで広めれば、それは確かに9割が泣いたように見えることになる。「みんな泣くんだって」の「みんな」はそんな風に形成されていくのだろう。

ところで学生のころは、この手の俗流心理学だの狭苦しい共同体の掟だののが集まって世間知というものを作っているに違いない、あーオトナって気持ちわりい、と思ってたが、圧倒的な世間知の持ち主だと感じる年長の人に出会って、それは間違いだと分かった。なんつーか本物の世間知というのは活字にしうるような知識じゃなくて、もっと筋肉とか運動神経に似たものだ。それが働く姿は美しい。それを持ってる人は尊敬するけど…でもB氏はダメだな。