岡崎さんの文章(『03』1991年11号、新潮社より転載)

 私がTVを面白がっていたころは、まるでアッパーな興奮剤みたいなところがあった。だから、全体的にはその時代の思い入れの再現のような番組編成になっている。当然今はかつての興奮が、すっかり醒めてしまっているというか、むしろTVに苛立ちさえ感じることの方が多い。だってのろいんだもん。今のTVに「愛」は感じません。
 ようするに今のTVは、ネタ切れ。もう見え透いた一見新しいこと(実はもう古くてたまらないのに)など考えずに、一日中かつて人気のあった番組を再放送することもありなのでは、と思う。ヒップホップのDJみたく音源をリミックスしてうまく新しい音楽を作るようにね。だってバクダイな情報がTV史30余年の中に眠っているのだし、しかもそれらの番組を初めて見る世代の人たちには、かえって新鮮に映ると思うし。TVがそれを模索していたころに持っていたテンションの高さは、もはやもう望めないのだということはすでに前提としてあるのだ。
 というわけで私が編成した番組表にも、再放送の番組がいくつか彩りを添えていますね。これは私のかつてあったTVへの愛の証とも言えるでしょう。また、他に見たい番組として挙げているものでも、今さら奇を衒ったものではなくて、注目しているキャラクターの人物やその人たちの組み合わせの妙で、ことさら演出のわざとらしさが鼻につくことなく見られそうなものを考えてみましたよ、というか私が見たい!と思っているものですね。
 例えば、『デヴィッド・バーンの仮装大賞』も、彼のあのへンテコで変わったキャラクターなら、やってくれるなと思って。彼はアカデミックで時代の最先端を行く感性とすごく下世話な部分を併せ持っていて、あるインタヴューで、彼は日本のTVも見ていて、あの欽ちゃんやドリフターズなんかが好きだと答えているというし。だから、被も含めて“仮装”ということで他の登場人物とどんなトンチンカンなものを見せてくれるかが楽しみだ。私としてはアリス・クーパーとかケイト・ブッシュに出てもらいたいな。
 またデヴィッド・リンチのソープ・オペラにしてもそうだが、彼らアメリカ人のどこか自分たちを遠くから見ている視線で描き出す、清潔な狂気のような感覚こそ、これからの日本のTVに残されたひとつの重要なテイストだと思うのだけど。
 まあTVが「巨大なメディア」とまだ思っていて、見せてやる、という態度でいると誰もTVなんて見なくなっちやうよ、とも思いつつ考えてみました。TVはもっとクールにメチャクチャになるべきだと思います。