「人生の経験値」流行ってんなあ。

なんでだ。何が流行るかわからん。

大江健三郎岡崎京子の名前があるなあ。

大江と言えば以前からちょっと不思議に思ってたのだけど

結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。

それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

この大江健三郎の古いエッセイ(「わがテレビ体験」群像昭和36年3月初出、だそうだ)の一部が「大江の北朝鮮賛美の証拠」ということで広まってるみたいなんだけど、何故なんだろう。
…いやまあ理由はわかるんだが。「自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから」というキャッチー(wな一節のせいだよね。
ただ、エッセイ全体を読んだわけじゃないんだが、少なくともこの部分を読む限りは、北朝鮮賛美と読むのは少し無理がある、と思うんだけど。

この文章はつまり、
・テレビドラマの中の登場人物には、息子家族と別れてまで帰りたいと願う美しい故郷がある
・でも自分は日本をそのように無条件に肯定できる故郷だとは思えない、そのことに気付かされて悲しい
という話だと思うんですね。
引き合いに出すのは別に北朝鮮じゃなくてもよい。この場合はたまたまテレビで北朝鮮ネタのお芝居やってたから引き合いに出されただけで。

つまり、この文章で言ってる「帰るべき北朝鮮」ってのは、大江にとっての日本、それも無条件に肯定されるべき故郷としての日本の比喩だ。
別に美しい日本がまんま北朝鮮みたいだってんじゃないよ。ドラマの登場人物が祖国Aを望郷するように、自分も自分の祖国Bを望郷したり無条件に愛したりしたいなあってこと。

祖国を愛したいけど素直に愛せないで悲しいと泣いてしまう大江の姿は、左翼文化人と言うより、むしろファナティックな元・軍国少年の地が出てると思う。

というわけで、これが「北朝鮮賛美」ってのは、逆、とまではいかないにしろずいぶん見当違いだと思うんだけども。