地獄でなぜ悪い

ヤクザの抗争とボンクラ映画青年たちが合流して狂乱の一夜を作り出す。70年代筒井康隆作品をそのまま実写化したようなブラックな笑いに満ちたスラップスティック
冒頭から自主制作映画風の無責任で自堕落な雰囲気が充満してるので、こういうのが駄目な人は駄目かも。でも俺は好きだなあ、ヘヘ、すいません、なんて周囲の観客気にしつつもひとりニヤニヤしてしまい、スクリーンの上で果てしなくエスカレートしていく事態をみるうちにそのニヤニヤが哄笑に変わってしまうという、要はカルト映画になることが最初から決まってる映画だ。内輪受けのクソ映画と罵ることもできるだろうけど、クソを頭から被ってしまえばいっそ爽快である。開き直り上等と開き直りについて開き直った上で、つまりメタ開き直った上で作られた映画だということはタイトルが示している。
窓を破って逃走する二階堂ふみの不必要なかっこよさ。「ブルースリーバカがうっかり映画青年とつるんでしまったがためにいい歳してフリーター」という役を演じる坂口拓のシャレにならなさ。長谷川博己は才能はなさそうだけど狂ってる映画青年を最後まで演じきり、星野源は防戦に回った時の山本一太のような表情でひたすら虐待され続け、脳天割られてもズルズル動き続けるんだから大したもんだと思います。
これら若手の張り詰めたテンションの上で気持よさそうに踊ってみせるのが國村隼堤真一で、堤真一ジム・キャリーばりの顔芸をどんどん転がし、國村隼は対照的にふてぶてしい笑いを要所で低く弾ませるーーと思ったら次の瞬間國村隼の首はすぽーんと高く跳ね上がるっていう。

映画製作者の狂気を描いてる映画といえばジョン・ウォーターズの『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』というのもあった。2000年の映画だ。映画製作が文字通りテロルと化す『セシル・B』に比べると『地獄でなぜ悪い』は学園祭的であり、ヌルいといえばヌルいかもしれない。
しかし、楽しい。映画館の闇の中でスクリーンを見上げている間は、楽しすぎる。この映画を見続ける限りこの楽しさが永遠に続くかもしれないという幻想こそが、ボンクラ達の地獄なんだろう。